ここ一、二年、まともに音楽を聴かなくなった。いや、もっとずっと以前から。
セルビアのボリス・コバーチ (classicではない!! world または avant) の新譜なら聴くだろうけれど、価値ある創作というモノはそうやたらにできるものではないし、出てくるモノではない。年に一、二枚あるかないかだ。
classic の方は、なんというか、ただ惰性で買っている。
たいして聴きたくもなく、くだらん世界と思いつつ、退廃的に細々と続いている。
なんといっても、classic なのであるから、今日的意味はないのは当たり前なのだ。
といって、モダンジャズはとっくに古典だし、ロックは勲章をもらうような軟弱さ。
残された希望は、international、world 系にしかないのだろう。
どのようなゲージュツも連綿と、周辺を、辺境を(差別語であるけれど、これを使う我々を逆説的に撃つ言葉)糧にして生き延びてきたわけだが、現代では、周辺からの反攻が始まっているのだ。
クルド、アラブ、トルコ、中央アジア、アルジェ、イラン、バルカン……
古典、モダンを問わず、そこには残された可能性がある。
で、もうなんの価値もない classic のCD。久々にアレンスキーの「組曲」の新譜が出た。
スベトラーノフ盤 (メロディア、BMG) は見あたらなくなったから、手に入れ易いのはこれだけかな。
この曲 (第三組曲の中の葬送行進曲とノクターン) は、「ヤンとシメ」の中で、27節「アレンスキーの組曲」として使ったものだ。
そもそも「ヤンとシメ」は自然を舞台とする、ヤン達の芝居ということにもなっているけれど、全体は散文的な組曲でもあるわけで、ドボルザークのスターバト・マーテルを主旋律に、様々な音楽が使われている (残念ながらclassic)。
どちらかというと、classic の世界ではマイナーな曲ばかり取り上げた。
しかし、マイナーということは、作品がマイナーなのではなく、人々が無知であるということに過ぎないのだ。
ところでこのNAXOS盤、この会社の特徴だが、録音がつまらない。
全く色気がない。新録音なのにもったいない。
安い (1000円以下) のはいいけれど。
Text by Jun Machida 2004/2/7