8. クルドの歌


シヴァン・ペルウェル 2003年盤のカヴァー


右端が演奏するシヴァン・ペルウェル
Sivan Perwer
クルド人は、トルコ、イラク、シリアなどに分断されたクルディスタンに暮らしている。
シヴァン・ペルウェルは、トルコのクルディスタン出身の歌手(吟遊詩人)だ。
シヴァン・ペルウェルのCDは何枚か持っている。
カフェ・オデッサ・イスタンブールでもよくかけていた。トルコ人の男性客が目ざとく見つけて、「これは悪いヤツだ」と、言い放った。
トルコ政府はクルド人の存在すら認めずに、徹底的に弾圧した。クルド人の存在を主張するだけで監獄に入れられた。(現在は、EU加盟を目指して、表向きは弾圧をゆるめているようだが、日本に逃れてくるクルド人もいる。)

シヴァン・ペルウェルの新譜が出たのは知っていたが、これ以上買わなくてもいいかなと思っていた。
しかし、カヴァーの写真を見たら、どうしても欲しくなった。
イラクのクルディスタンの都市、スレイマニエの中央広場に掲げられているのは、1918年〜19年、束の間のクルド独立国の指導者の肖像画。クルディスタンの”今”の映像が新鮮で、印象深い。

演奏も新鮮で強烈な印象を与える。いつも力強く、誇り高く、美しく、歌い続けてきたシヴァン・ペルウェルだが、このCDの迫力には息をのむ。民族楽器のバックと聴衆とも一体になった熱気が伝わってくる。
ほとんどの曲がシヴァン・ペルウェルの作詞作曲だ。
クルディスタンから遠く離れていても、それはクルディスタンの山々に響き渡る声だ。クルディスタンにまで届く歌だ。

「ハラブジャはヒロシマ、ナガサキのようだ」というナレーションで始まる感動的な曲がある。サダム・フセインの毒ガスで何千人ものクルド人住民が殺されたハラブジャ村の悲劇は、当時、世界から無視された。アメリカがサダム・フセインを援助し、武器を与えていた頃の事件だったからだ。
日本人がハラブジャを知らなくても、クルドの人々はナガサキ、ヒロシマをよく知っている。イラクの人々も知っている。ヒロシマ、ナガサキを知らないのは日本人とアメリカ人かもしれない

Temo


テモのLP 「クルディスタンの吟遊詩人」


テモ「クルドの歌と音楽」1995年


テモ「欺瞞」2003年 自作の楽器と彫刻
Temo
クルド音楽との最初の出会いは、テモのLPだった。

テモはシリアのクルディスタンの吟遊詩人だ。
激情ほとばしるタンブールの演奏に、圧倒され、心奪われ、同じLPを2枚買ってしまった。繰り返し聴くうちに、キズを付けてしまうに違いない。そのための予備にもう1枚確保しておきたかった。

その後ずっと、テモの新譜に巡り会えず、諦めていた頃やっと見つけたCDは、残念ながら期待はずれだった。情熱的な演奏を期待していたのに、すっかり大人しくなっていて、がっかりした。

そして、2003年盤はさらに渋くなっている。
だが、これは、深く静かな感動を持って聴いた。熱情は冷めてしまったのではなく、心の底に深く根を張っていたのだ。かなわぬ希望を静かに諦観しつつも、自らの亡命者としての半生を確固たる意思で肯定する自負、そして未来に希望を託す情熱が、ひしひしと伝わってくる。
改めて、前のCDを聴きなおす。前には聞こえなかった熱情が聞こえた。

The Kamkars


カムカルス「the living fire]


カムカルス「翼の折れたナイチンゲール」

The Kamkars
クルドの音楽家達の力強さには、いつも感嘆する。

なかでも、飛び抜けてパワフルな演奏をするのがカムカルス。
イランのクルド人の音楽家兄弟だ。
クルディスタンの高原を駆け巡る羊飼いの自由闊達な心と力と、喜びと悲しみ。クルディスタンの山々を吹き抜ける風が聞こえる。

父ブッシュの湾岸戦争の時、アメリカの助力を当てにして裏切られたイラクのクルド人は、冬の山岳地帯をトルコ国境に向けて逃げ彷徨った。自国のクルド人も抑圧しているトルコ政府は、非情にも国境を閉ざした。
この絶望的な状況のなかで聴いたのがカムカルスだった。その明るさと力強さに、こちらが力づけられた。

Text by Mariko Machida 2004.10


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