占いウサギがプリンキポ島*で商売をしているらしいと、ギリシア人から聞いたことがある。
それも夏の初めと終りの一時だけだという。気だるい昼下がりから急に涼しくなる夕刻まで
船着場近くのカフェでマルマラ海の風に吹かれて占いをしている。
客がいないときは カフェの椅子に坐ってポツリとお茶を飲んでいたという。
ある日の午後遅く、見慣れぬ客が現れた。
護衛をかねた秘書を連れて、すぐそれとわかる下手な変装をしたトロツキー*だった。
トロツキーは秘書を遠ざけて、占いウサギと小一時間程話していた。
占ってもらっていたのか、それは誰にもわからない
ただ、占いウサギは何度も無言で頭を横に振っていた。
トロツキーは時々うつむいて茶を飲み干し、周囲を見回した。
陽がマルマラ海に沈む頃に、占いウサギの灰色の毛が逆光の中で銀色に輝いた。
そして小さな卓上に置かれた紅茶のグラスは深いコハク色に沈んでいった。
*プリンキポ諸島: イスタンブール沖、マルマラ海に浮かぶ島々。
その中のブユッカダ島にはギリシア系の人、アルメニア系の人が多く住んでいた。
占いウサギは、やはりアルメニア系だったのだろうか?
*トロツキー: スターリンによって追放され、1929年からプリンキポ諸島のブユッカダ島で暮らす。
ヨーロッパで活動することを望んだが叶わず、1936年メキシコに渡る。
1940年暗殺される。