9月21日、町田純の母の墓参りに行った。
百名山を踏破した母は足慣らしに高尾山に何回も登っていた。
高尾山の麓にある都立八王子霊園の芝生墓地。
ここなら母も喜ぶだろうと、純が毎年応募していたが毎年落選。
純の後を私が継いで、一昨年やっと当選。

墓石にはJUN MACHIDAの名も刻まれているが、今この中にいるのは母だけ。純とヤンの遺骨はまだヤンの小屋にいる。私が死んだ時、純とヤンも一緒にここに入れられるだろう。

町田純が最初の入院から戻ってすぐに登ったのも高尾山だった。
2008年11月、登ったのはリフトを降りて山頂までの僅かな距離だけだったけれど、退院直後の体力ではかなりきつかったはずだ。それでも、純は山に登りたかった。ちょうど紅葉の頃で山頂も人で賑わっていた。帰りのケーブルカー乗り場も長蛇の列なので、ゆっくりと歩いて下山することにした。日が沈むと山の道はあっという間に暗闇に包まれる。ムササビ観察のグループが木を見上げている。ヘッドライトを持ってくればよかったと思いながら、真っ暗な中を下った。

八王子霊園は高尾駅からバスで10分。さらに先までこのバスで行くと、終点は陣馬高原下だ。
2009年10月11日、ここから陣馬山に登ったのが純の最後から2番目の登山になった。虎ノ門分院に入院中で、外泊許可をもらっての決行だった。医師はまさか登山するとは思わなかっただろう。登山と言うよりはハイキングだけれど、無茶をしたものだ。無茶でも山に行きたがった。この時を逃したら、もう山には行けなくなるかもしれないという予感があったのだろうか。
この頃、腹水が溜まって膨らんだお腹でも入るズボンは、ウェストがゴムになっているユニクロのイージーパンツLサイズだけだった。限界量の利尿剤を服用していて、そのせいで低血圧も限界。だらだらした上りの途中で、利尿剤が効いてきてしまった。山頂のトイレまで我慢できない。山道脇で用を足すことにした。前の開いていないイージーパンツは下ろさなければならない。誰か人が近づいて来たら純に知らせるために道を見張ったが、幸い誰も来なかった。頂上は小さな草地に陽が当たっていて、寝転ぶとぽかぽかと気持ちよかった。
バスの時刻に間に合うように下山を始めたつもりだったのに、麓のバス停に着くとバスはちょうど発車したところだった。遠ざかっていくバスのお尻を見送って、次のバスは1時間後だ。ベンチに座って暮れゆく辺りの風景を眺めていると、何の鳥だろう、知らない鳥が美しい声で歌い続けていた。
大幅に遅刻して病院に戻った純のために取り置かれていた夕食のうどんは、汁を吸い尽くして凄い有様になっていたそうだ。

この登山で降り立った高尾の駅前の風景は記憶に焼き付いているのに、駅の名はどうしても思い出せないでいた。
初めて八王子霊園を訪れた時に、「ああ、この高尾駅だった!」と分かって胸が一杯になった。純がまたこの駅に導いてくれたような不思議な気がした。霊園の先、今度は一人でまた陣馬山を登ってみようかな。

陣馬山行の1週間後、再び外泊許可をもらってケーブルカーで高尾山に登った。中腹にある高尾山薬王院の裏手では大きなヤン柄の猫が日向ぼっこしていた。高尾山から白樺のある城山を経て、小仏峠へと出たのが純の最後の山行になった。


                2015.9.26   by Mariko Machida