[ヤンの手記]より
ある日突然、父はいなくなった。理由はわからない。
商売ガタキに命じられた悪名高いモルダヴァンカ街のギャングに
殺されたのか、政治的なものか、ボクには見当もつかなかった。
遺された財産は意外にもほとんど無かった。少しばかりのルーブ
リ紙幣と宝石、そしてガラクタのような物が入った木箱。
ボクはその遺産全部を持って、汽車に乗った。
行く先はどこでもよかった。汽車は北に向かっていた。
雨滴の跡の残る曇ったガラス窓からは、南ウクライナの林と
草原がぼうっとかすんで見えた。落ちるはずもない車外の汚れ
を拭き取ろうと、空しくボクは窓ガラスを手のひらでこすり続
けた。これから先の不安を消し去りたいばかりに。
汽車はどんどんスピードを上げ、黒い煤を白く光る樹肌にまき
散らしながらボクの思いを蹴散らしていった。
目の前の木々は恐ろしい速さでボクを避けて飛びのいていく。
だが、草地のかなたにかすむ灰色に沈んだ森の近く、
輝く星が1つ優しくボクを見送っていた。
ボクは確信した。ああ、ボクの人生は祝福されている!
この大地は祝福されている!
永遠の一瞬だった。