町田純との遙かな旅、そしてヤンの世界への始まり
   
ーコーカサスへの旅の記憶ー 〈1〉
(by Mariko Machida 2014.12)
 
 スライドの写真をプリント化する作業をしている。
 逝ってしまってから、もうすぐ4年。町田純と確かに共に生活していた、その実感が薄れていく。一緒にいたのだと確認するために、スライドのポジフィルムをスキャンしてプリントする。もう500枚を越えた。全部で何枚あるのだろう?
 夏には毎年、北アルプスに登っていた時があった。その頃のプリント化は終わり、次は、1984年8月のコーカサスの旅の写真。

 なぜ初めての海外旅行にコーカサスを?と、何人もが不思議な顔をした。その頃、NHKの5分ほどの隙間番組「名曲アルバム」ではイッポリトフ・イワノフの組曲「コーカサスの風景」がコーカサスの映像といっしょに流されていた。ピロスマニ展が開かれるのは数年先だが、シュンゲラーヤ監督の映画「ピロスマニ」は公開されていた。「ピロスマニ」を見てしばらくして、コーカサスの山々を間近に見ることが出来るツアーがあることを知った。ピロスマニの街、トビリシにもいける!
 新潟からナホトカまでは船、ナホトカからハバロフスクまで鉄道、そこからモスクワを経て、エレヴァンまでは飛行機。エレヴァンからトビリシ、オルジョニキーゼ、ピャチゴルスクとバス。飛行機だけではない旅程が、飛行機苦手の町田純にも気に入った。
〈2〉へ続く