4日目 1988/1/1
 金角湾をフェリーでさかのぼってエユップまで行く。
 フェリーの中でトルコ人の男性と純は肉の値段について話している。
 「トルコでは牛肉は高い。羊肉よりずっと高い」とトルコ男性。
 何でこんな話題になったのだろう?
 エユップで下船して、イスラム教の創始者ムハンマドの親友エユップが
 葬られているエユップ・ジャーミに初詣(?)。
 ジャーミの中に入ると鉄の格子で囲まれたエユップの棺の周りを女性達が
 取り囲み、一心に願い事をしている。
 
 ジャーミを出て少し行くと、金角湾に沿ってなだらかな丘が続いている。
 のんびりと坂道を上ってピエール・ロティの茶店まで歩く。
 ピエール・ロティ(1850〜1923)はフランス海軍の士官で、艦船に愛猫
 を乗せて世界中を巡った。寄港した港港で愛人や現地妻を持ち、その体
 験をもとに書いた小説でアンリ・ルソーも肖像を描くほどの人気作家に
 なった。日本での体験は小説「お菊さん」、イスタンブールでの体験は
 「アジャーデ」に書かれている。アジャーデへの思いは特別で、小説
 「アジャーデ」は金角湾を望む丘の上にある茶店で書かれたという。
 その茶店がピエール・ロティの茶店として残っている。
 
 前回と同じく、茶屋の客は私たちだけ。ゆっくりと時が流れる。
 ロティの茶屋を出て、エユップに戻らずに旧市街の方向に歩いて行く。
 モザイクが美しいカーリエ博物館を経て、ギリシャ人街を歩く。
 行き交う人々がギリシア系なのかどうかは分からないが、途中に
 ギリシア正教会のカテドラルがあった。
 坂道を下っていく途中で出会った少年達が、手のひらに載せたナッツを
 分けてくれた。食べながら歩いていたのだろう。観光名所とは無縁の
 場所で見かけた観光客が珍しかったのかもしれない。なんと自然で温か
 い反応なのだろう!
 《調べてみると、かつてはギリシア人のコミュニティーがあったが、
 今もこの当時も住んでいるのはほとんどがトルコ人だそうだ。》
 やっと旧市街の中心まで来た。
 また、グランドバザールやムスル・バザールで買い物をしながら、
 ホテルに戻る。
 8:00pm、前日に約束したネイ奏者アフメットが訪ねて来てくれる。
 ネイの奏法には2種類あって、1つはこう、もう1つはこうと説明しながら
 演奏してくれるのだが、残念なことに違いがさっぱり分からない。

 もてなすものを何も用意していなかった。出会った子供たちにあげようと
 持って来たのに、ホテルに置きっぱなしになっていた菓子「コアラのマーチ」
 しかない。開けて勧めると、怪訝な表情で手を出そうとしない。そして、
 「コアラの肉ですか?」と聞く。コーランにはコアラの肉を食べてはいけない
 とも食べてよいとも書いてないはずだけれど、コアラの肉は禁止なのかな?
 コアラの形をした中にチョコレートが入ったお菓子だと説明したら、笑って、
 口にしてくれた。そして、来る途中のバスでの出来事を話してくれた。
 
 ネイを新聞紙に包んで持っていると、隣の男が「ネ(何)?」と聞く。「ネイ」と
 答える。また「ネ?」「ネイ」、また「ネ?」「ネイ」、「ネ?」「ネイ」、
 「ネ?」「ネイ」……の繰り返し。
 答えのネイは、質問者にはネと聞こえたのだろう。
 つまり、「なに?」「なに」、「なに?」「なに」、「なに?」「なに」……
 伝統楽器のネイはトルコでも一般的ではないのかもしれない。
 工具・部品屋街で「ネ?」と聞かれたことを思い出した。
 トルコの人は疑問に思ったことは見ず知らずの人にでも、ごく自然に臆すること
 なく聞くらしい。
 特に新聞紙に包まれた棒状のものに興味を示すのかな???
エユップの町
エユップ・ジャーミの内庭
エユップ・ジャーミの墓地
エユップの町
丘を上って、ロティの茶屋への途中
アンリ・ルソー作
ピエール・ロティの肖像
ロティの茶屋 外のテーブル
ロティの茶屋 室内
カーリエ博物館 天井のモザイク
かつてギリシア人街だった街区
グランドバザール近く 水ギセルのチャイハネ
厨房の奥に並ぶ水ギセル
ネイ奏者 アフメット・ハムディ・プナルジックさん
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