2018.2.7 居直りりんご
  居直りりんご

ひとつだけあとへ
とりのこされ
りんごは ちいさく
居直ってみた
りんごが一個で
居直っても
どうなるものかと
かんがえたが
それほどりんごは
気がよわくて
それほどこころ細かったから
やっぱり居直ることにして
あたりをぐるっと
見まわしてから
たたみのへりまで
ころげて行って
これでもかとちいさく
居直ってやった

(石原吉郎詩集より)

昨年、石原吉郎を知った。
シベリア抑留で、自らの人間性を失うか保持するかのぎりぎりの極限を体験し、
帰国後もその極限を生きつつ、詩に昇華させた詩人。 息詰まるような緊張が張り巡るその詩は、しかしリズミカルで息をのむように美しい。
「居直りりんご」は、そんな彼の詩の中ではちょっとユーモラスな一篇だ。

シベリア抑留から帰国した石原吉郎は、ねぎらいの言葉一つも掛けられず、アカではないか(共産主義者に
洗脳された)と疑われ差別され、親類縁者からは抑留中に親の葬式を出してやったと恩を着せられ、旧弊な 因習を守ることを要求される。

生きるために人間性を失うか、あるいは極限状態でも人間性を失わないでいるか、その中で人間性の真の
美しさも見たと言う石原吉郎は、「最も良き人びとは帰っては来なかった」というアウシュビッツからの 生還者フランクルの言葉を引用しつつ、「最も良き私自身も帰っては来なかった」と言う。

望郷の思いに望郷の思いを重ねやっと帰国したこの国で、石原吉郎が見たものは人々の人間性の貧しさと
醜さだけだったのかもしれない。


                  2018.2.7  text by Mariko Machida