このところチェーホフを読んでいる。
摘読していた全集のまだ読んでいない短篇を読もうと思ったのだが、読んだはずの短篇も内容を忘れていることがあって、結局ほとんど全部を読むことになってしまった。チェーホフの素晴らしさに感嘆している。
そして、チェーホフとウクライナについて思いを巡らせている。
チェーホフが生まれ育ったタガンローグはアゾフ湾に面した港町だ。今のウクライナとロシアの国境に近いロシアの町で、チェーホフの父親は港に陸揚げされた品など様々な商品を並べた食料雑貨店を営んでいた。
以前はロシアが舞台だと思っていた短篇だが、今読むとウクライナが舞台の作品がかなりある。
「曠野(ステップ)」はウクライナのスッテプ地帯を通って羊毛を運ぶ荷馬車隊の荷の上に乗って旅する少年を描いている。照りつける太陽や激しい雷雨に見舞われる過酷な旅だが、陽の光の変化や星空に心奪われる日々でもあった。村が点在し、古墳が望まれ、せせらぎがあるスッテプは昆虫の羽音や鳴き声に満ち、花の香りが漂い、野生の動物たちが暮らし、鳥たちが大空を舞い鳴き交わす地でもあった。チェーホフのステップに向ける共感に満ちた眼差しを感じる。
「こごめなでしこ」はウクライナのドネツ河沿岸に建つ修道院が舞台だ。1万人以上の参詣者が聖人の祭日に集まるという。参詣者の中には「マリウポールから来たギリシャ人たち」もいた、という一文もあった。港湾都市マリウポール(マリウポリ)には様々な民族の人々が住み、通商で栄えていた様子が窺える。
チェーホフ自身も当時の読者もロシア(あるいはロシアのウクライナ地方)が舞台の作品だと思っていただろう。大ロシアに対してウクライナを小ロシアと呼ぶ差別的な名称も使われているが、チェーホフはウクライナを見下してはいない。生まれ育ったタガンローグと地続きのウクライナはチェーホフの故郷でもあった。家族がモスクワに移った後も古典科中学の6,7,8学年を終えるために1人タガンローグに残ったチェーホフは、休暇中にはステップに色々な用事があった知人と一緒にステップを歩き回った。ユーモアを込めて「私は典型的な小ロシア人で……」と言うチェーホフの言葉も残されている。
絶望的な時代の状況でも「100年後200年後のロシアはもっと良くなっている」と未来の世代への希望を持ち続けたチェーホフに倣って、いつか国家という枠組を越えて自由で平等な地域と地域の人々が交流する世界が来ることを願う。
2023.8.12 Mariko Machida