やや黒猫的主張 2009/6/28~2014/4/19

やや黒猫的記憶

ハクビシンのこと その2

”ハクビシンの大狼藉” あるいは”ハクビシンの大冒険”

”ハクビシンの大狼藉” あるいは
”ハクビシンの大冒険”

そして、昨年、2013年の1月末。朝、ヤンの小屋のドアを開けると、玄関ホールの様子が変だ。物が散乱している。
玄関ホールには、外に出るドアと、ヤンの小屋のドア、塾の教室と元教室のドアがコの字型に並んでいる。教室と元教室のドアは開け放してあった。教室を覗くと、昨夜、用意して机に載せておいたプリント類が全部床に落ちていて、空気清浄機は床に倒れている。元教室の天袋にあったはずの箱が床に転がっているが、マグネットで閉まる天袋の扉は閉まっている。天袋から続く柱や長押や壁は足跡で黒く汚れている。隅にはうんちもあった。りんごの芯のようなもの、何か実や種子のようなものがたくさん見える。臭くはない。狼藉を働いたのはやはり、果物好きのハクビシンか?
天袋の上の板はズレていて天井裏が覗けるようになっていた。きっと、ハクビシンが天井裏から天袋に入って、内側から扉を押して、部屋に下りてきたのだろう。マグネットの扉は戻って行く時に、何かの拍子で閉まったのだろう。
再び天袋の扉が開けられないように、棒で斜交いをする。そして、柱から床、椅子にのって天井近くの棚の上まで、大掃除。

掃除を終えて、ヤンの小屋に戻ってしばらくすると、教室の方から何かが落ちる音がする。何だろう? 斜交いをしておいた天袋の扉は閉まっているし、棚から落ちた物もない。
ふと玄関ホールのガスメーターの方に目をやると、あっ、ハクビシンがいる!! 子どものハクビシンが、ガスメーターの上で大きな目でこちらを見ている。恐怖のあまり目を見開いているのだろうが、かわいい。
天袋から帰って行ったのではなかった。出て来る時に、扉は閉まってしまったのだ。でも、掃除している間、どこに隠れていたのだろう?…………そうだ、ベッドの下! 元教室は最後の頃には純が使っていて、ベッドが置いてある。その下には原稿などを入れた箱が置いてあって、その奥までは見ていなっかった。

「さて、ハクビシン君、どうしよう?」
このまま飼ってしまおうかな?と、一瞬思う。しかし、野生動物を飼うのは容易ではないだろう。帰ってもらうのが一番いいだろう。外に出るドアを開け放したままにして、私はヤンの小屋に戻った。
しばらくして、そっと様子を窺う。まだガスメーターの上にいる。大きな目で見ている。「困ったね、ハクビシン君」
小雨が降ってきた。外に出るドアは大きく開け放さないで、紅茶の空き缶を挟んで隙間を作っておく。また、ヤンの小屋に戻って、様子を見たくてもじっと我慢。夜半にそっと見に行くと、いなくなっていた。
いなくなってみると、ちょっと寂しい。

あの時のハクビシンは、なんだか純の赤ん坊の時の写真と似ているような気がする。「これはね、極めてフロイト的な写真なんだ」と言って見せられた写真は、おちんちんを握って坐っている裸の赤ん坊・純が、こちらを見てにこにこしている。

そういえば、トイレの天井からオシッコを流したのは、純が「こんなに気持ちよく出るよ!」と、知らせていたようにも思える。利尿剤も効かなくなって腹水に苦しんだが、「もう、その苦しさからも解放されたよ」と喜んで放尿していたのかもしれない。
他の場所ではなく、律儀に(?)トイレの天井からというのも不思議だし、「オシッコしないで」という言葉が分かったように、止んだのも不思議。

今でも、時々、天井裏でハクビシンの毛が擦れる音がする。狭い場所でどうにか落ち着く姿勢を確保しようと体を回転させているような音だ。
物寂しい嵐の夜などは、この生き物の気配だけでも嬉しい。
あれから、忘れた頃に一回、トイレの天井からのオシッコがあったが、今のところは止んでいる。やはり、優しい呼びかけ作戦が功を奏しているのかな?

湿度の高い日などは、ヤンの小屋のトイレはいまだに獣臭いにおいがする。

(by Mariko Machida)

ハクビシンのこと その1

【初めての遭遇】

「ケケケッ」夜中にかすかな声がする。どこかで鳥が寝ぼけて鳴いているのかな?
「ケケケッ」が、だんだん近づいて来て、「ガサガサガサッ」と斜面の藪を何かが上って来る。「ケケケッ、ケケケッ」と、叫び声がすぐ近くになる。
懐中電灯を持ってベランダに出ると、目の前のドングリの木の枝をネコより大きな動物が2匹、けたたましい声を上げながら駆け抜けた。喧嘩だろうか。1匹が1匹を追いかけている。
地面に降りて斜面を駆け下りる直前、1匹がこちらを向いた。鼻筋がくっきりと白い。ハクビシンだ!! 純も私も大興奮。

もう10年以上前、町田純がまだまだ元気だった頃、こんな風にしてハクビシンと出合った。

その後は時々、天井裏で気配がしたり、時には壁の間をもの凄い音を立てて上っていったり、夜中の追いかけっこが再開されたり、天井から純の頭にすうっと一筋液体が垂れて来たり……。そういえば、この液体は全然臭くなかった。何だったのだろう?

【トイレの天井からオシッコ事件】

2011年2月純が逝き、3月大震災と原発事故が起こり、そして4月トイレの天井からハクビシンの(?)オシッコが流れて落ちる。壁を伝って滝のように流れ落ちてくる。獣臭いにおいがする。天井から壁、床と念入り掃除して、翌朝、トイレのドアを開けると、また床がオシッコで濡れている。壁も天井も。また掃除して、夕方また天井からオシッコ。連日こんな風で、これには参った。

部屋の方の天井でハクビシンの気配がある時は、ステッキで下から天井をドンドンと叩いてみた。驚いてどこかに行ってくれるかもしれない。銀色の握りが付いたステッキは昔、純が父親にプレゼントしたものだ。長い入院で足の筋肉が弱ってしまった純は、退院したらそのステッキを自分が使うと言っていた。それで、いつでも使えるように出してあった。

1週間以上経った時、ハクビシンは結構気が弱いという話を思い出した。としたら、ステッキで脅すのは逆効果かもしれない。ビビってお漏らししてしまう。
作戦変更。怖がらせないで、「天井の下にはヒトがいるのだった!少し控えよう」と気付いてもらおう。気配を感じたら、少し高めの優しい声で呼びかけることにした。「だあれ?オシッコしないでね」
不思議なことに、作戦を変えてから、オシッコはぴたりと止んだ。人の言葉が分かるのだろうか?

(by Mariko Machida)

 

ジョセフ・クーデルカ展

竹橋の東京国立近代美術館で、ジョセフ・クーデルカ展が開かれている。(2014年1月13日まで)

クーデルカはチェコの写真家で、一昨年開催された「プラハ 1968」も素晴らしかったが、今回は初期から現在までを網羅する展覧会。
侵攻してきたソ連の戦車に立ち向かうプラハ市民を撮影した「プラハ 1968」の写真も再び何枚か来ているし、その後の亡命時代の写真もある。

中でも、今回は特に「ジプシー」のシリーズが充実している。
一瞬の動きを捉えたものもあるのだが、多くは考えられた構図で、それがとても良い。正面を向いて真っ直ぐにカメラを見るロマたちの写真がたくさんあって、それぞれの被写体のそれぞれの人生すべてを見せられている気がする。見る者は、ロマたちの視線を受け止め、対峙しなければならない。彼らの尊厳と美しさに圧倒される。
[ジプシー」の向かい側には「劇場」シリーズが展示されていたが、舞台で演じられるドラマより、ロマたちの生活の方がずっとドラマチックだった。

ロマのヴァイオリン弾きの写真もある。カワカマス君もこんな風に弾いたのかな?
写真集でも見ることはできるけれど、大きく引き伸ばされた写真は迫る力も大きい。

(Mariko Machida)

!?デモはテロ?!

イシバがデモはテロだと言った。
秘密保護法反対の声も、原発反対の声も、彼らにとっては耳を傾けるべき市民の声ではない。なんと彼らの静穏を掻き乱すテロだったのだ!
”お上”に反対の意見を表明したり、”お上”に都合の悪いことを明らかにしだけで、テロリストにでっち上げたり国家機密を漏らした科で逮捕できる、これが彼らにとっての
”美しい国”だ。恐ろしいことだ。
市民に恐怖を感じさせるのはデモ参加者の声ではなく、警察・公安・機動隊のデモに対する過剰警備だ。

特定秘密法案審議中にヌケヌケと本心をさらけ出したのは、私たちをバカにしきっているからだ。
絶対多数で何でもやりたい放題。選挙で選ばれた独裁政権。
国会議員も憲法を守る義務があるはずだけど? 彼らは表現の自由を明記した憲法をまだ変えてはいない。道徳教育云々する代わりに憲法の勉強(憲法改悪の企みではなく)でもしてほしいものだ。

9.11後、アメリカを初めとする”国際社会”は”テロ”という口実でどれだけ多くの人々の上に爆弾を落とし、むやみに人々を拘束してきたことか。
”テロとの戦い”は「ヤンの世界」をも破壊した。「アフガニスタンやイラクの人々の上に爆弾が落とされている時に、文学に籠もっていられるか!」と、町田純は毎週末は戦争反対のデモに参加。こうして「イスタンブールの風船ウサギ」や「ヤツガシラの恋」の構想は永遠に失われてしまった。

町田純を失ってから、私は周囲に関心を失った。もう世界がどうなってもかまわない。
しかし、市民のデモがテロだというとんでもない発言には、黙っていられない。
町田純が元気だったら、反原発のデモにも参加していたかもしれない。そして、戻りかけた「ヤンの世界」からまた引きずり出されていたかもしれない。
町田純と「ヤンと愉快な仲間たち」の名誉と自由のためにも、特定秘密保護法に反対!
イシバたちの静穏を乱すような大声で、特定秘密保護法に反対!

by Mariko Machida

9月18日

からっぽの椅子

「僕は別れを告げる、かつて僕で
あったすべてに、
そして僕が蔑み、憎み、愛した
すべてに。

僕にとっての新しい人生がはじ
まる、
そして僕は昨日の皮膚に別れを
告げる。

からっぽの中に自分を置き去り
にして、
まるで他人のように眺めてい
る、自分を―彼を。

こんにちは、こんにちは、僕の
氷の鎧よ、
こんにちは、僕のいないすべ
て、僕のいないみなさん!

僕は書かれなかった本のページ
を読む、
だけどあなたたちにひとつの言葉すら僕は残せない、

ひとつの言葉なき言葉すら僕はあなたたちに語れない。」
(アルセーニー・タルコフスキー 数か所中略)

3年前の9月18日、町田純はこの部屋(ヤンの小屋)を出て、そしてもう戻ることはなかった。

1週間ほどのまあ予備入院のようなもので、純も私も気楽な気持ちだった。すぐに戻って、次の大手術のための入院までの間、しばらく家でのんびりできるはずだった。しかし、予備入院中に体調が悪化。集中治療室から手術室へと続いて、もう家に戻ることはなかった。

3年前の9月18日、その前の晩、何故か私は足が重かった。体温を測ると38,3°。こんな時に風邪をひくなんて?! 私の風邪はいつも喉から始まるのに、喉は痛くない。ただ足と体が重い。翌18日、あっさり熱は下がって、病院に同行する。足が地に着かないような気分で歩いていた。

あの時、私の足は純が戻ってこないことを知っていて、あんなにも重かったのだろうか? 町田純がこの部屋に居なくなってから3年が経つ。

(冒頭のからっぽの椅子の絵は、町田純のスケッチブックに挟んであった鉛筆画です。)

by Mariko Machida

流星

ヤンと流星

8月12日、夕方の雷雨の後も雨は止まない。時々ドアを開けて空を見る。小雨が降っていたり、やっと止んでも厚い雲が覆っている。

12日の夜中から13日の未明まで、絶好の条件でペルセウス流星群が見えるはずだった。こんな夜に雨とは……
「ヤン、流星を見たかったのに」と、思わず声に出してつぶやいたら、胸が苦しくなった。流星が見られないからといって、締め付けられるようなこの苦しさ悔しさは何だろう? そんなに執着していたはずはないのに。

期待はしていた。
ずうっと前、純が元気だった頃に獅子座流星群を見た時の世界観が変わるような体験、地球が広大な宇宙の中にあることを実感した経験が忘れられない。近くの川沿いの道の街灯のまばらな場所で見上げた空に、次々と現れては消える流星。明け方近く、屋根に上って見ると四方に星々が流れ落ちた。

この苦しさ悔しさは、流星よりももっともっと執着していたこと、どんなに願っても叶わなかったこと、祈っても祈っても取り戻せなかったことを思い出したからだ。
あの時も、もういないヤンに向けて声を出していた。
「ヤン、どうしよう! 死んでしまった!!」と、ドアを開けるなり、誰もいない空間に向かって大声で叫んでいだ。
純を連れて帰るために、30分後にはまた病院に戻らなければならない。泣き喚いている時間はない。散らかった室内を夢中で片付けた。夢の中にいるようだった。夢だったらよかったのに。

あの苦しさに比べたら、流星が見られなかった事などなんでもない。
でも、次の日も少し期待して夜空を見上げた。薄い雲が覆っていて、見えない。

その次の日は最後のチャンス。
川沿いの道に行ってみたが、街灯が増えて明るくなっている。葉を茂らせた桜の枝が空を隠して見えそうにない。
屋根に上った。母屋の2階の窓から出て、脚立を使えば、すぐ「ヤンの小屋」の屋根に上れる。
仰向けに寝転んで見渡す空には星が幾つか見える。屋根の上は風が吹き渡っていて、思いの外涼しい。流星は見えない。
しばらくすると上を黒いものが横切る、コウモリ? 流星は見えない。流星は見えない。
かすかな音がして、すぐ横の母屋の屋根の端を歩く黒いシルエットが目に入る。ネコ? ネコにしては大きい。タヌキよりスマート。ハクビシン?? 起き上がって見ようとしたら、気付かれて屋根の向こうに姿を消した。流星は見えない。流星は見えない。

流星を見たい欲望に駆られ、落ち着かない3日間が過ぎた。
流星は見られなかったけれど、夜の屋根の上は気持ちよく、少し寂しくて少し面白かった。

by Mariko Machida

ヤンのかくれんぼ

韓国版「善良なネコ」

韓国版「善良なネコ」が届いた。これで韓国のヤンのシリーズは6冊目。韓国の出版社も頑張ってくれている。
このシリーズ表紙はどれも、町田純がカラー化したヤンの絵。
今回、表紙のヤンは帯に隠れて姿が見えない。ちょっと残念。帯の幅をもう少し狭くすれば、顔ぐらいは見えたのに……
帯を外すと、「ヤン、見っけ!」 これも楽しいかな。

by Mariko Machida

祈るでもなく、うたうでもなく、

アルセーニー・タルコフスキー

そろそろあつまろう、
死者の額に口づけしよう、
みんなでいっしょにいこう、
松の棺を運んでいこう。

ならわしがある。塀や
よろい戸にそって、
香炉も提げず、祈るでもなく、うたうでもなく、
いくつも路地をぬけて棺を運びゆく。

僕は君に十字架をかかげない、
いにしえの歌をうたわない、
君の哀れな魂を
ほめない、たたえない。

何のために蝋燭に火をともすのか、
君の棺のそばでうたうのか?
僕らの言葉は君には聞こえないだろう、
君は何もおぼえていないだろう。

聞こえるのはただー煙よりも軽く、
大地の草よりも寡黙な、
故郷の寒さに凍てついた、
その優しいまぶたの重さ。
(アルセーニー・タルコフスキー)

1か月目であろうと、49日目であろうと、1年目であろうと、半端な日であろうと、私にとっては同じ。そう突っ張って(いや実はいい加減なだけ)、ならわしを無視してきたのですが、やはり、このところ、町田純の死の前後を思い出します。

上に引用したのは、映画監督アンドレイ・タルコフスキーの父、アルセーニー・タルコフスキーの詩です。
「ならわしがある」と言いながら、十字架もかかげず、賛美歌も歌わない。「君の哀れな魂をほめない、たたえない。 ……聞こえるのはただ、その優しいまぶたの重さ」
かけがえのない人は褒め讃える対象ではなく、ただ思うのみ。その不在を聞くだけ。

逝ってしまった時刻が近づきます。あの日は晴れていた。そして、荼毘に付された日は雪が降った。

*詩の引用は「雪が降るまえに」(アルセーニー・タルコフスキー著 坂庭淳史訳 鳥影社 2007年刊)より。
待望の訳詩集だった。アンドレイ・タルコフスキーの映画の中でもいくつか朗読されていた。瑞々しい叙情詩。装丁だけがひどい。

(by Mariko Machida)

幻の英語版「カワカマスのヴァイオリン」

英語版「カワカマスのヴァイオリン」

純は、たまに、自分の名前をgoogleで検索していた。そんな風にして見つけたのが、マルタ島の本屋さんの素晴らしい評やイギリスの人が詩の形で表現してくれた素敵な感想だ。(critique,批評のページにコピーしてあります)

私も真似してみた。そうしたら、オンラインショップで英語版「カワカマスのヴァイオリン」を見つけてしまった。
いつ出たのだろう!?
ネットで買おうとしても、在庫なし、とかで買えない。
出版社acorn bookのホームページは、ずっと更新されていないようで、メールを出しても届かない。
社長クリス氏のアドレスをやっと探し出してメールすると、すぐに返事が来た。

「2011年4月
町田純のことを聞いてとても残念です。
純への最後のメールで、相棒のパメラがイタリアに帰ってしまって、もはや出版社を運営できないだろうと説明しました。一つは不況のため、もう一つは私が結婚して女の子が生まれたので、出版に時間を割くことが出来なくなったのです。悲しいことに、『カワカマスのヴァイオリン』は出版されていません。ただ、近刊リストに載せたので、オンラインショップはそれを拾っていったものと推測します。
ーー以下省略ーー」

純への最後のメールは2008年5月。
「残念ながら『カワカマスのヴァイオリン』はまだ刊行していません。でも、するつもりです。私は相変わらず田舎に住んで、自分たちの果物や野菜を育てています。妻のホリーとは書店で出会いました。その時、彼女はすでに『ヤンとカワカマス』を持っていて、ヤンが私たちを結んだのです! 6週間前に女の子が生まれました。
ーー中略ーー
パメラは今エジンバラにいて、そことイタリアとを旅しています。出版社はまだどうにか動いています。」

クリス氏は趣味で出版社をやっていたのだろうか? 今は田舎で自給自足の生活?? 不思議な人だ。ページ数も値段も決まっていて、翻訳も進んでいたはずなのに、幻になってしまった英語版『カワカマスのヴァイオリン』。残念!

そう言えば、『カワカマスのヴァイオリン』のサウンドトラックでたくさん使ったロシアのロマの3人組「ロイコ」は、それぞれに自分のバンドを結成して活動しているが、その1人は「コーシュカ」というバンドを率いて、イギリス(スコットランド)のグラスゴーを拠点に活動している。コーシュカとは、ロシア語で猫のこと。どの新グループもリーダー1人で頑張っている感じで、なにか寂しい。

(ロイコについて詳しくは音楽的主張へ)

by Mariko Machida

「オ・ハ・ヨ」その後

虎の門病院分院のプラタナス、by Jun Machida ,2009.10.15

虎の門病院分院に行く時は、「オ・ハ・ヨ」の九官鳥キューちゃんに会うのが楽しみになった。いつも会える訳ではない。時間が早くてキューちゃんの洋品店が開店前だったり、定休日だったり。

運良くキューちゃんを見かけると、私はしつこく呼びかけた。「おはよ、キューちゃん。おはよ」気がついたキューちゃんは、後ろを向き、水を一口飲んでからこちらに向き直り、そして、しゃべりだす。
「オ・ハ・ヨ。キューちゃんムニャムニャ……ムニャムニャ」 ムニャムニャのところはよく聞き取れない。
突然、どすのきいた低音で「おねえさん!」これにはびっくりして、笑ってしまった。誰の真似なのだろう? 洋品屋のおじさんに、こんな風に呼びかけられたら、お客さんは逃げだしてしまうだろう。それに、洋品屋はいつもおばさん1人で、おじさんはみかけたことがない。
昼過ぎでも、夕方でも、「オ・ハ・ヨ」だった。「キューちゃん、コンニチハ」と話しかけても、ポカンとしているだけ。
そして、最後は機嫌良く「ホーホケキョ。ホーホケキョ」。自分の声に酔っているかのように、いつまでも続く。真夏のかんかん照りの時も「ホーホケキョ」。
「キューちゃん、季節がちがうだろう」と純。
「もういいよ。時間だから行かなくちゃ。バイバイ」
まだ背中から「ホーホケキョ」が追いかけてくる。

私は今も月一回、虎ノ門病院分院に通院している。昨年、何十年振りかで健康診断を受けたら、非結核性抗酸菌症と診断された。人から人には感染しないことと症状が殆ど無いのが特徴で、薬を飲んでいれば特に心配はない。
病院は、迷わず虎の門分院にした。同じ病院なら何かと便利だろうと思ったのに、純は肝移植手術が急に決まり日赤医療センターに転院してしまった。私も転院しようかと思ったけれど、そうすると、また純が他の所に行くような気がして止めた。
でも結局は、遠いところに逝ってしまったけれど。
「ドナーにもなれなくて情けない」と嘆いたら、「オレは1年でも2年でも、君が治るまで待っていられるから」と言ってくれたのに、待っていてはくれなかった。

虎の門病院分院で外来診察を受けてから、日赤医療センターに入院中の純の所に行く日は、まずはキューちゃんの話題。「今日は会えたよ」とか「シャッターの隙間から見えたけれど、キューちゃんは気づいてくれなかった」とか。だんだん店のシャッターが閉まっていることが多くなって、ある日、閉店の張り紙が貼ってあった。
このことを伝えた時、純は気管切開を施されていて話すことができなかった。
そうでなければ、キューちゃんの話題の後はいつも「で、君はどうだったの」と続いていた。
「大丈夫、良くなって来ているよ」

キューちゃんの店の向かい側のファミレスが取り壊されたことも、もう新しい建物が完成間近だということも、純は知らない。
そう言えば、今年は我が家でもウグイスの声を聞かなかった。隣の隣の空き地にマンションが建つ計画で草木が刈られたせいだろか? このことも純は知らない。

虎の門病院分院のプラタナスは、純が居た頃と同じように葉を落とし、そして葉を茂らせている。

[上のスケッチは虎の門病院分院のプラタナス、by Jun Machida ,2009.10.15]

by Mariko Machida

韓国版「イスタンブールの占いウサギ」

韓国版「イスタンブールの占いウサギ」

去年の夏、町田純がここにアップしようと撮った写真です。
やりかけたけれど、体力・気力が続かなくてそのままになっていました。
どんな文を書くつもりだったのでしょう?

カヴァーは、純が着色した絵が使われていて、とても気に入っていました。
中の挿絵もオールカラーで、作者自身の着色と、作者が着色していない絵には韓国の出版社が着色。どちらの着色なのかは一目瞭然なので、なんだか微笑ましい。付録のトルコ料理、「チョバンサラタス」の写真まで彩色されていて、やはりこれも韓国料理の雰囲気。

その後、続けて出された「草原の祝祭」と「ヤンとシメの物語」もカヴァーには作者自身が着色した絵が使われて、ヤンのシリーズ全5冊の韓国版が刊行されました。入院中の町田純は5冊を手に取り、涙を浮かべて喜んでいました。

そして昨日、再契約の契約書にサインしました。
ヤンのシリーズ5冊と短篇集2冊(「小ネコちゃんて言ってみナ」「善良なネコ」)契約延長です。
純が生きていたら、どんなに喜ぶでしょう。

by Mariko Machida

右傾化?それとも肝脳症?

「とりあえずの退院その1」の続きを書いていないが、なんだかもう書く気もしなくなった。東京の田舎町世田谷のどまん中に位置する関東中央野戦殺人病院については、ちょっと思い出すだけで怒りがこみ上げてくるだけだ。精神衛生上よくない。だからといって、どこの大学病院だろうが碌な所は無いのが現実だが。たとえば慶応病院。ひどいところだった。コネと不正が横行していた。こんな慶応に中学から通い続けた自分が恥ずかしくてならない。人生の大汚点。福沢諭吉という反動差別主義者。なにが維新だ。まあ、書き出せばきりがないし、不毛だ。少しは変ったことを記録しておこう。

関東中央病院にインターフェロン殺人治療で入院していた頃のことだ。09年4月頃。いや、その前から兆候は既にあった。何の? これは右傾化なんだろうか。
利尿剤は半年以上限界近く出されていた。二種類。片方は強く、なんでも出してしまう。体に絶対必要な電解質、イオンなどを。結果、心臓発作とか、いろいろ危険なことになる。そのためカウンターの利尿剤も飲まねばならない。ナトリウムなど維持するために。そしてカリウム剤も飲む。

このカウンターの利尿剤に副作用として、偽女性ホルモンを形成する働きがある。じゃあ体も女性化するのか、というと、確かに乳房は大きくなり、細かい産毛が増加する。このため、美容形成などのもぐりの病院では、この薬を使って発毛やら乳房を大きくしたりするところがあるらしい。なんて危険なことをするのだろう! 薬品は基本的に副作用が怖いのに。

で、右傾化。女性化するのがなぜ右傾化か?
女性化すると同性が嫌いになる。つまり女嫌いになるのかな?
しかしだからといって、男が好きになるわけでもない。もともとそういう性的趣味はなかったし。
多分、担当医が若い女医(この野戦病院はとにかく女医が多い。それもかなりの美人がいる)だし、ナースは当然女性ばかり。まれに男が一人いたりするが多勢に無勢。
こんな環境で長く過ごすとそうなるのか? もっとも少しでも余裕があるときは、ナースをからかうくらいはできた。「今日は病棟一の美人に当たったな」とか言うと、「またまた上手いんだから~」と満更でもなさそう。
サービスも良くなる。少しだけ。

しかし、毎日膨れる腹、抗ウィルス剤やインターフェロンでふらふらにされ、腹水穿刺で太い注射針を腹や胸にぶすり。こういった拷問の連続で洒落や皮肉、からかいの余裕も無くなる。何もかもがウンザリだ。毎日ロシアンルーレットの夢、幻想。それも弾丸が自分のこめかみに発射されて貫通しなければ終わらない。これではルーレットではない。
賭けではなくて、バン!と炸裂してやっと終わり。運よく弾丸が出なければ、出るまで続くのだから。
他には病室の窓を開け、跳び下りる夢、いや気分、というか誘惑だ。これをこらえるのはなかなか大変だった。脳漿が飛び散る様を頭に描き、なるべく汚い想像で、思いとどまる様にした。

しかしそれでも、早くなんとか潔く死にたいものだとの願望が続く。
小学校の頃、ドイツ軍のロンメル将軍が好きだった。砂漠の虎。カッコいい戦車隊。男子はいつだってそういう趣味がある。チャンバラや戦争ごっこ。
それが急に出てくる。この歳になって。ああなんてこった。せめて死ぬときはカッコよくと。実際は醜く悲惨極まりないのに…。

伸び放題の顎ヒゲや頭髪、一ヶ月風呂にも入らず、鏡を見たとき、これが死相というものかとよくわかった。
病院の床屋を呼んだ。来たのはオバサン散髪師。聞くと同年齢。それにしては髪がひどく薄い。
で、ボクは開口一番、「ドイツの青年将校のような髪型に」と。
オバサンは「へ~? わっかんない」と笑う。
「じゃあ、とにかく思いっきり短くしてくれ。ただしヤーさんやアメリカ人みたいなのは困る」
といった調子で車椅子の上で散髪。5,6センチ切った。少しは若くなった。生気も戻るようかに見えた。掃除のオバサンが、あらーと感嘆の声。
ボクは車椅子から敬礼した。

髪が短くなると、右傾化は加速。なにもかも否定したくなる。右翼的アナーキスト? 民族主義者ではないし(…こんな国、こんな民族、こんな文化、誰が好きになるか!)、だから右翼は適切ではないなあ。もともと反天皇制主義者だし。なんと分類すべきか?

強烈な男尊女卑。女は下らん、という意識が強く支配する。女流作家も身近なちまちました事しか書けないやつばかりだし、作曲家も、女はいるか? といった具合。男だって語尾上げで話すやつは、引っ叩きたくなる。そしてなにもかも破壊したい衝動。

まだ多少はこの傾向続いているが、この恐ろしい利尿剤、別のにしたら大分元に戻りヤレヤレ。西洋医学は怖ろしいものだ。いとも簡単に人間を変える、改造できるのだから。
特高に拷問され続けた小林多喜二やその仲間たち。これこそ真に英雄だ

オ、ハ、ヨ

ボクが病院へ注射や点滴に毎日通うルートは、ほとんどの患者には使われないバスルートだ。二つの私鉄を結ぶバスは、昔の地名を冠している停留所をいくつも経て、多摩丘陵を走っていく。そして病院近くのバス停では、主として養護学校の生徒たちが降りていく。ボクもそこで降りるか、あるいはもう一つ先の停留所で降りるのだ。先の停留所には、田舎っぽいブティックというか雑貨、アクセサリー、なんだかごちゃ混ぜの洋品店があり、街道のトラックが撒き散らす埃を浴びて、客は誰一人いない。

その店先に、運よく暖かい日差しが伸びているとき、突然「オ、ハ、ヨ」と声を掛けられる。とても明瞭な滅多に聞かない日本語。
あ、と思って振り返る。しかし誰もいない。すると今度は相変わらずくっきりとしたしゃべりで、しかし内容はよくわからない声をかけられる。「ちょっと、見てみたら」かな?

店の中を見回す。やはり誰もいない。そして次にやっと気がつくのだ、床の上の鳥篭とその中の窮屈そうな九官鳥に。
ボクは素直に応える「あ、オ、ハ、ヨ」と。
外来予約の時間が迫っている。それに、彼と面と向かって長話するよりも、このままさらっと去ろうと思った。その方が自然だし、なんだかとても素晴らしいコミュニケーションだと思ったから。

「オ、ハ、ヨ」 「あ、オ、ハ、ヨ」
この自然さが、なんて素敵なんだろう! 他に何が必要だろうか!
今のこの国で、こんな挨拶がどこでできるだろう!?
それからいつも彼と会う事を愉しみに、先のバス停で降りることにした。しかし、店主のオバサンは商売気が全く無く、昼近くにならなければシャッターを開けない。今日は晴れているから、日光浴に鳥篭を出しているかな、と期待して行っても、店の二階の自宅で布団を干しているだけ。

またいつか会えるかな…入院したら外出の散歩で行ってみよう。夕方でもオ、ハ、ヨなのかな?

クライバーと志乃多寿司…2

神田志乃多寿司

東京は神田淡路町の一角に戦災を逃れた地区がある。
ここは老舗がいくつか残っていて、ボクは神田藪蕎麦によく通った。店の風格は、東京の蕎麦屋の中で一番だと思う。古書店街よりこちらの方がよっぽどよい。蕎麦を食べた後、甘味どころの「竹むら」で揚げ饅頭か、あんみつを食う。この近くには漱石所縁の松栄亭があって、洋風かき揚げが当時からの名物だが、玉葱たっぷりのメンチカツのお化けみたいな物はボクには無縁だ。玉葱は未だに苦手。確かネコにも禁忌なはず。ボクは結局ポークカツとなる。

神田神保町から御茶ノ水下を通って歩いてくると、この淡路町の老舗食い物屋街の入り口に、関所のように構えているのが神田志乃多寿司。
いつも素通りするのだが二度ほど土産にお稲荷さんを買ったことがある。
ボクは稲荷寿司が好物。干瓢巻きも。だからお稲荷さん系の神社は嫌いではない。原始信仰の一種なのかな。狐ならば、鏡や石ころのご神体よりはるかにマシである。お供えの油揚げを見る度にうまそうに思う。そして狐うどんとか食いたくなるのだ。あの陶器の狐を集めたいと思ったこともある。ただ、売っている所が滅多に無い。それで止めた。

さて、問題はこの志乃多寿司。外からも覗けるのだが、入ると、ショーケースのすぐ向こう側に5,6人の職人が横一列に並び、こちら側、つまりボクたち客側に向いて黙々と稲荷を握っている。
押し黙ってひたすら。右端は親方らしき人。そして右から序列があるかのように並んでいる。
この雰囲気に圧倒されて、ショーケースの中の寿司の種類、折り詰めの吟味もままならない。
とりあえず、早く出たい。小さめの稲荷と干瓢の折り詰めを買って出る。

出た後しばらくして、思い出す。ショーケースの中に茶巾や押し寿司があったような気が…。
結構美味そうだったな…。さらに最近ネットで知ったことだが、地下で食べられるようになっていたらしい。
寿司屋はたとえ稲荷寿司でも怖ろしい所なのか…。やれやれ。

クライバーのあの映像を見ていたとき、とっさに出てきたイメージ、それは、あ、これは志乃多寿司だな、というものだった。どちらも、なんとも言えぬ重苦しさがある。

教訓好きの日本人に一言。「完全主義は、時に鑑賞者を重苦しくさせる」「ミス、傷、失敗も多少であれば、これ愛嬌」

入院中、CDを聴けたときがほんの少しあった。クライバーのブラームス4番。開封せずにずっとそのままの盤。聴いてみた。始めからボクには合わないと分っていたのだけれど。昔のベストセラー盤。天邪鬼なボクは皆が買うものは買わない。今頃20年経ってから仕方なく聴く。
聴いてみると、生きろ、そして燃え尽きて死ね、と言っている演奏に思えた。なにしろライブだから。
ボクはこの曲は時に佇み、ぶらっと散歩するヤツが好き。
もちろん響きも大切。リンデンバーグと北西ドイツのものとか、…これはフランス・エラートで最初のブラームス交響曲録音。硬い透明なほの暗い響きが美しい…、カラヤンのドイツグラムフォンの60年代のもの、ワルターとコロンビアの甘美なワイマール共和国的響き、などが気に入っている。

クライバーの盤、多分一度きり。それが人生かな?…などと書くと、なんと大袈裟な(+_+)

カルロス・クライバーと志乃多寿司…その1

カルロス・クライバー

たまには馬鹿馬鹿しい話も書いておこう。
カルロス・クライバーという一世を風靡した指揮者がいる。70年代が盛りだったか。
父エーリッヒ・クライバーは戦前の高名な指揮者。スケールとしては父の方が上である。ただ、息子のカルロスは極端に狭いレパートリーだが、熱狂的なファンが、というか「追っかけ」がいて、アフリカ近く大西洋上のスペイン領、大カナリア島でコンサートがあろうが、ギリシアであろうが、どこへでも付いて行くのだ。ヤホンからも出かけるアホな輩がいるほど。彼は10年ほど前に死んだが、病多く、かつ神経質なんだか、とにかくしょっちゅうコンサートをキャンセルする。それがまた伝説の指揮者となる仕組みだ。

彼のコンサートは、たまにNHKで放映された。来日コンサートか、忘れたが。
またリハーサル風景も放映されたし、勿論YouTubeでもいくらでも出てくる。
で、このリハーサルがうんざりするほどしつこいのだ。細かに決めていくのだけれど、なかなかOKが出ない。いつまでたっても先に進まない。この苦行とコスト的問題で、迎えるオーケストラも限られてくる。それは確かに完全主義。ボクも分る。ボクも本一冊、外も中も、活字の大きさから行数、紙質、帯、イラストの配置とサイズ、装丁デザイン全般、すべて自分で決めないと満足できないのだから。

あれはベートーベンの7番目のシンフォニーだったかな。シュトゥットガルトかバイエルンだったかのオーケストラ。クライバーは楽しそうに振っている。自分の指示したとおり行っているらしい。もっともミスしてもいやな顔はそうはできないだろう。本番中だから。

対してオーケストラの面々。これが誰一人楽しそうに演奏している者はいないのだ。もっとも曲が曲だからというかもしれない。
しかしこの曲はバカなドンちゃん騒ぎという一面もあるのだから、もう少し楽しんで演奏してもらいたいのだ。もっとも奏者も耳にタコの曲かも。今さらのベートーベン。ある種の逆説的ギャグだ。

意気軒昂な指揮者、沈んで下しか見ていないオーケストラ。いや、沈んだというか、必死なのだろう。なにしろあれだけの指示があるのだから。それをきちんとやろうとしたら、どんなことになるか…見て聴いているこちらの気分もだんだん暗くなっていく。しかし音は滅法威勢が良いのだが…

立った耳の朗読公演のお知らせ

4月にヤンとカワカマスの朗読劇公演を行った、グループ「ポーレ」の岡田明菜さんが、再び朗読劇を行います。
今回は「立った耳」…ボクの短編集「小ネコちゃんて言ってみナ」の一篇です。
軽いタッチのユーモアとさらっとした抒情をどのようにアレンジするか…、面白そうです。
ボクもそれまでに奇跡的に治したい…。
場所は以下の代官山と渋谷の中間辺り。「代官山NOMAD」という所。
当日の色々な公演の中の一つだそうです。

岡田さんからのお知らせは次の通りです。

「Praxis Presents 夏祭りイベントライブ」
7月26日 日曜日 代官山NOMAD
open 15:00
start 15:30
¥1500(1drink別途¥500)

Полеの出番は19:00頃になります。
「立った耳」
朗読とヴァイオリンでお送りします。

イベントは22時終了予定で、一枚のチケットで全てのグループを見る事ができます。
他はほぼ音楽系です。
会場は渋谷と代官山の間くらい。両駅から徒歩約7分です。
〒150-0033東京都渋谷区猿楽町3-9アベニューサイド代官山3F
行き方はややこしいので、ライブハウスのHPをご参照ください。

http://www.daikanyama-nomad.com/

お問い合わせ a_akina82☆yahoo.co.jp(担当:岡田(Поле)
(迷惑メール対策で、@を☆に変えています)
詳細はこちらをご覧ください。

http://yaplog.jp/akinappyan/

永遠…その1

紫陽花

永遠。久しぶりに永遠に想いを…
読者からきっかけを与えられたことに感謝するとともに、
永遠について書けば、それは新作の重要な部分であることを、
忘れていた。
今それを書いては、…ちょっとまずいかな。(+_+)
で、途中まで書いておこう。

ヤンのシリーズは永遠の追求というテーマでまとめられるかもしれない。
もちろんそれは一つのまとめ方。他にもいろいろあるだろう。
それは読者が考えること。
ここでは、簡単に書き記しておこう。こんな見方もあると。

「ヤンとカワカマス」
彼ら二匹はまだ永遠について全く意識していない。
ただ彼らは永遠の中に生きている。
永遠は一瞬の刻に在るとともに、全体性そのものでもあること。
ここでの全体性とは、ふたりが振り子のように繰り返す、草原と河への往復で形作られる。
全体性が大袈裟な表現であるならば、ふたりのハーモニーとしてもよい。

そして最後の瞬間(一瞬の刻)、草原の丘を登るとき全てが啓示される。
ああ、そうだったのかと。これだったのかと。
つまり、永遠を発見する、気づく、物語というわけ。

「草原の祝祭」
永遠を創り出すこと、それは不可能性であり、純粋なヤンたち動物連中でさえ難しいことであること。
永遠は人間たちが創った神ではないこと。勿論宗教とは無縁の世界。
神は単なる象徴。それに捧げる樅の樹もただの道具にすぎない。

ヤンたちは壮大な実験を試みたわけであり、その結論は上記の如し。
しかし私たち人間どもは、それを悟らず、絶えず永遠を求め続ける。
ときとして、それは人間の欲望の一つとして、世界に危害を及ぼす。
たとえば、ナチスの第三帝国が希求した永遠は何をもたらしたか。
イスラエルが望む民族の永遠性は、いかに排他的、破壊的なものか。
例はいくらでも挙げられる。