やや黒猫的記憶 2003/7/14~2009/6/28

やや黒猫的記憶

永遠…その1

永遠。久しぶりに永遠に想いを…
読者からきっかけを与えられたことに感謝するとともに、
永遠について書けば、それは新作の重要な部分であることを、
忘れていた。
今それを書いては、…ちょっとまずいかな。(+_+)
で、途中まで書いておこう。

ヤンのシリーズは永遠の追求というテーマでまとめられるかもしれない。
もちろんそれは一つのまとめ方。他にもいろいろあるだろう。
それは読者が考えること。
ここでは、簡単に書き記しておこう。こんな見方もあると。

「ヤンとカワカマス」
彼ら二匹はまだ永遠について全く意識していない。
ただ彼らは永遠の中に生きている。
永遠は一瞬の刻に在るとともに、全体性そのものでもあること。
ここでの全体性とは、ふたりが振り子のように繰り返す、草原と河への往復で形作られる。
全体性が大袈裟な表現であるならば、ふたりのハーモニーとしてもよい。

そして最後の瞬間(一瞬の刻)、草原の丘を登るとき全てが啓示される。
ああ、そうだったのかと。これだったのかと。
つまり、永遠を発見する、気づく、物語というわけ。

「草原の祝祭」
永遠を創り出すこと、それは不可能性であり、純粋なヤンたち動物連中でさえ難しいことであること。
永遠は人間たちが創った神ではないこと。勿論宗教とは無縁の世界。
神は単なる象徴。それに捧げる樅の樹もただの道具にすぎない。

ヤンたちは壮大な実験を試みたわけであり、その結論は上記の如し。
しかし私たち人間どもは、それを悟らず、絶えず永遠を求め続ける。
ときとして、それは人間の欲望の一つとして、世界に危害を及ぼす。
たとえば、ナチスの第三帝国が希求した永遠は何をもたらしたか。
イスラエルが望む民族の永遠性は、いかに排他的、破壊的なものか。

例はいくらでも挙げられる。

とりあえずの退院 その1

3月23日からインターフェロン+血液濾過(血漿交換)の治療のため入院した。二週間の予定で。そして出たのは5月8日。47日間の入院。

入院した日、タイミング悪く、ボクの腹水はお腹の限界まで膨れていた。前日の日曜日には、急患で救急車で飛び込もうと思っていたほど苦しかった状態。
しかし、たまたま入院日が翌日になっていたのでなんとか一晩唸りながら我慢して、とりあえず腹水を何とかしてもらおうと病棟へ入った。

医者は針穿孔(注射針の太いヤツで腹に刺し、チューブで、でかいガラスの甕に滴下する、まるでアルキメデス時代の方法)で腹水を抜いた。何リットルだったか…。

翌日から早速、血液浄化室で血漿交換。これを5日やった。
そして週一のインターフェロン注射と毎日の抗ウィルス剤カプセル。
腹水はすぐに元に戻り増加の一途。毎日唸り続ける。勿論一睡も出来ない。
それどころではないのだから。ベッドの柵につかまりながらずっと耐えているしかない。

その内意識は朦朧としてくる。しかし意識不明になることは、なんとか踏みとどまっていた。
全くベッドから動けない。手の先数センチにあるエヴィアン水のボトルすら取れない。その内時計の文字盤が読めなくなる。目が霞んだのではなく、時計の時刻の読み方が分らないのだ。長針がここで、短針がここだから…はて、これは何時なのか? いくら考えても分らない。単語も日常語も忘れていく。あれはなんと言ったっけ?思い出せない。勿論日付などどこかに吹っ飛んだ。

舌か゛おかしい。何も感じない。ひりひりする。火傷だ。化学的な火傷。
味が全く消える。勿論こんな腹水でパンパンの状態と意識朦朧で食事を取れるはずも無い。
毎日氷をしゃぶっていた。後はサイダーと、特にドイツの鉱泉水ゲロルシュタインこれがたいそう美味い。
しかし、水分をとればその分腹水は増えてしまう。こうして飲料水をがぶ飲みすることが最初の夢となった。

肝臓の諸々の数値は悪化の一途。黄疸もひどい。腎機能も悪化。肝不全状態。この頃医者は危篤ではないけれど、かなり心配な状態とカミサンに告げたそうだ。点滴はありとあらゆるものを。太もものつけ根、鼠蹊部の血漿交換用のカテーテルから院内細菌感染も加わり、抗生剤、グロブリン、アルブミン、輸血血漿、カロリー液と深夜まで終わることは無い。

毎日の腹水針穿孔。腹から胸にかけて針孔だらけ。
その内呼吸困難になり酸素吸入。胸にまで水が上がってきたのだ。胸水という。いくら呼吸が苦しいと訴えても、医者不足、いつ来るのか分らない。
午前中にが、午後になり、夜になる。
それまで唸っているだけ。もうなんとか転院しようと思ったことが二度三度。しかし、体がこれでは動けない。

これら全て、インターフェロンと抗ウイルス剤が原因だろう。
それに難治性の腹水滞留が加わったわけだ。
結局、医者は、インターフェロン2週目が終わってから、投与を中止した。

朗読ライブ「ヤンとカワカマス」のお知らせ

演劇研修中の岡田明奈さんから下記朗読ライブのお知らせがありました。
ボクは入院中かもしれないので、残念ながら拝見できないかもしれませんが、もし一時退院していたら、出かけようと思っています。(^^)v

TULIPS CAFE & Поле(ポーレ) Produce
朗読ライブ「ヤンとカワカマス」
日程:四月五日(日)
13:00~/17:00~
チケット:1500円(1ドリンク付き)
会場:ギャラリー1号室|2号室
東京都千代田区神田神保町1-14英光ビル2F
神保町駅下車A5出口徒歩一分

お問い合わせ a_akina82☆yahoo.co.jp(担当:岡田)
(迷惑メール対策で、@を☆に変えています)
※会場が小さいので、なるべくご予約の上、ご来場ください。

また、以下のブログも参照ください。

http://yaplog.jp/akinappyan/

病窓四尺…その4 徘徊

いよいよ胃カメラ検査の日が近づいて来た。いったい何回やったやら…。何度やってもイヤなものだ。口だけ麻酔して、拷問具の玩具のような口枷を銜えなければならない。

そしてまた静脈瘤が出来ていることだろう。再来週入院して、検査よりもっと苦しい内視鏡結紮手術と予想。

食道静脈瘤破裂の患者は、一般的に30%が一ヶ月以内に死亡するらしい。その中に入らなかっただけ幸運なのだろう。
残りの70%は、二ヶ月先か、三ヶ月か、それとも半年、一年…いつごろまでもつのだろうか?

今現在、苦しいのは、腹水と強烈な足の攣りだ。

朝に利尿剤で溜まった腹水を出すと、あとは1日溜まるばかり。腹が張ってどんどん苦しくなる。
まるで膨らんだ蛙の腹。一日の内に2リットルか3リットルの水が溜まり、それを強制的に排出させるという繰り返しが毎日となると、なかなかキツイ。

胃が極限までパンパンに膨らむと、感情のコントロールが出来なくなる。自分で分っていてもどうしようもなく、些細なこと、どうでもよいことがどうにも我慢できない。
深夜に急にベッドの中で怒鳴りだしたり、着の身着のまま飛び出して、寝静まった住宅街や商店街を彷徨う。

家路につく女性などは、わざわざ通りの反対側に逃げていく。そりゃあそうだろう。
無精髭で、裸足でサンダルの男。薄気味悪いに決まっている。

昔から自殺と幽霊で知る人ぞ知る踏切があった。そこへなんとなく向っている。
行って気がつく、そうだ、とっくに高架だ。スーパーへ買い物に行くときいつも自転車で通っているのに。
とんだ笑い話。

次に近くのドブ川へ。水深はたったの20か30センチ。コンクリートの側壁は5,6メートルはあるかな。
これでは水死ではなく、全身打撲だろう。するとICUでさらに高額な治療費が加算されるというわけ。

ヤンと初めて出会った所へ向う。家から20分ほどの小さな交差点。
それから用も無くコンビニへ立ち寄り、なんとなく鱒寿司のお握り一つを買って家に戻った。こんなものも売っているんだと感心しながら。

こんな時は、肝脳症なのだろうか?それとも薬の副作用?

まあ、こんなことを繰り返しながら、今暫く、生きていくしかないのだろうなぁ…。

病窓四尺…その3 寿司

蝦蛄から連想して寿司を書くことにしたけれど、寿司屋に入ったことはこの何十年一度も無い。
いや、より正確には、寿司屋のカウンターに座ったことが無い。小さい頃、父に連れられて何度も食べに出かけた記憶はかすかにある。あの頃は決して今ほど高価な食べ物ではなかったはずだ。

小学校に上がったころは、家に金はまったくなかったから、ほとんど食べには行かなかった。それでもたまに何かでお金が入ると、父は昔を思い出し、寿司でも食べに行こうかと、豪勢な気分で寿司屋にくり出した。ボクは遠慮してあまり食べなかった。

昔は親戚のところや知人の家に行くと、出されるものは決まって寿司の出前だった。同様に誰かが訪ねて来ると、寿司の出前をたのんだものだ。たとえ金が無くとも。そして大抵何人前かを盛り付けられて出されるので、やはりボクは遠慮した。今ほど食い意地が張っていなかったのかも知れない。とにかく、他所でなにか食事を出されると、あまり食べられない。遠慮と胃弱、…鍼の先生はボクの胃を「ガラスの胃」だと言っていた。そして他所ではなんとなく落着かないから。これは今でも同じだ。

だから寿司屋に入って、職人の前で食べるなんていうことは、到底出来ない。そんな思いをしてまで食べたくは無いし。第一、ネタの名前を忘れてしまった。アジやサバは確かヒカリもの?生姜はガリだったか?お茶は…。エンガワなど昔は無かった筈。職人に、なんと注文すればよいのやら…。

さらに黙って食べているのも気がひける。なにか感想とか言わないと場が持たないだろう。
これは美容院でも言える事だ。ただ切ってもらうというわけにもいかない。そこが気の重くなるところ。
決死の覚悟で出かけなければ…。

それでは誰かと一緒に食べればよいという人もいる。
しかし、残念ながらボクのつれあいは、全く生モノは食さない。煮魚も焼き魚もダメ。要するに魚介類は臭いものだと。従って和食はほとんど好みではない。ただ、納豆と豆腐、海苔は、たまに食べているのを見かける。オデッサ・イスタンブールで魚介料理が無かったのも当然のことである。

ある日スーパーの魚売り場で「キタヨリ貝って大きいね」と言われた。
キタヨリ貝…?「バカッ!君はいくつになってもカマトトだ」。
閣下とジャツクのやりとりとおんなじ。「寿司屋に入ってもいいけど、かっぱ巻きと納豆巻き、それから沢庵まきかな」と言われても、これで入れるのか問題だ。

オデッサ・イスタンブールで、たまに「魚料理はあるの?」と聞く客がいた。概してオヤジである。「魚は臭いからありません」とボクは即座に返答した。料理人が魚嫌いだからとは言えなかったが、同じようなことかもしれないな。でも、ボクの大きな手描き看板にTEA HOUSEと書いてあるのだから、ティーハウスで魚料理云々の客も客である。まったく魚の好きな国民だ。

で、会社員でもなく友人もいないので、ボクは寿司屋に入るなら単独行動をとらねばならないわけだ。これは単独登山より恐ろしい。

近年回転寿司というシステムが生まれて、これなら入れると意気込んだことがある。
しかし、なぜだか躊躇するのだ。それでも、アナゴの煮たやつとかヒカリものを食べたいという欲求は強い。

こうして何度も何度も回転寿司の前で逡巡した。一軒を遠くから眺め、ああやっぱりなんだかなぁ、と諦め、二軒目の前を通る。そしてまた戻ってくる。あの回転する様子を外から見ていると、ますます気が滅入ってくる。

とうとう入ったのは御茶ノ水だった。母が舌癌で入院していた大学病院が御茶ノ水にあったから。母のそばにいて、たまにシイタケのエキスを舌癌の上に垂らしたりしていた。この大学病院では何の治療法も無く、医者は何もしなかった…。ボクはこんなことでもするしか仕様がなかったのだ。
重苦しい一日が過ぎて行く。それでも多少は腹が減るから不思議なものだ。ボクは外に出て、適当な店に入り、焼きそばとかラーメンとか立ち食い蕎麦を食べたりした。

その日はもう完璧に自棄になっていた。
ボクはこの際何でもいいからと、何も考えず回転寿司屋に飛び込んだ。空いているのでハヤらない店だったのだろう。
最初に目に入ったのは、風呂屋や古い温泉にあるお湯の蛇口のようなもの。しばらく考えて、お茶の出るところだと分った。いやティーバッグだったか…、そのためのお湯の注ぎ口のどちらかだ。

次にどうやって湯を出すか分らない。やはり少し考えて、レバー状の部分に湯飲みを押し付けて出すと分った。
さて、いよいよ問題の回転体に挑むこととなる。想像した以上のスピードに驚いた。おまけに欲しいものが出てこない。さらに、一皿二つというのも腹にこたえる。

こうして四皿程度で店を出て、なんだか空しい思いとともに母の待つ病院へ戻ったのを、昨日のことのように覚えている。

病窓四尺…その2 蝦蛄

病気で寝ていると幼少期の記憶が蘇って来るのは誰でも共通することだろう。そしてその記憶の中でも、今のボクには、何故か食べることがメインである。

祖父がよく食べたものに蝦蛄(シャコ)がある。

あの頃魚屋はリヤカーを引いて路地奥まで売りに来ていた。

あさりやしじみ、蛤、赤貝、バカ貝という赤貝に似た貝(これはちょっと怪しい記憶)。魚はアジやサバ、カレイ。その他江戸前のものが中心。
刺身は舟形に作られた竹のさくに入っていた。

マグロのトロなどは無かった。あれは漁師や市場の者だけが食したモノで、商品ではなかった。

で、シャコはB5サイズくらいの木箱に茹でて殻を剥かれた状態で、箱単位で売られていた。そういえばプラスチックなど無かった時代。ポリ容器など無かったから箱は全て木製。
イチゴも同じような木箱に、きれいな宝石のように詰められて売られていた。

このシャコをわさび醤油で食べるわけだ。子供のボクには、シャコが海老に似た甲殻類であることは、あの殻を剥かれた状態では分らなかった。二つ三つ食べると、なんだかムズムズし出す。
海老、蟹のアレルギーがあったのだ。今はすっかり無くなったが。

どうして今頃シャコが気になるのか。魚屋では魚を買わなくなり、その魚屋もすっかり減ってしまった。スーパーではシャコが見当たらない。勿論木箱のような容器も手間がかかり作られなくなったに違いない。

それともこれからがシャコの採れる季節なのだろうか。潮干狩りのように、浜を掘り起こせばたくさん出てくるのかな。

寿司屋ではシャコはあるに違いない。でも寿司屋については、今回は書くスペースが無いので割愛する。

シャコとどういう繋がりか分らないが、祖父のよく食べた鳥のささ身も思い出す。
これを茹でて、芥子醤油で食べていた。

当時、ささ身は鶏肉の中で高価な部位だった。今はほとんど見向きもされない。ダイエットに良いとか、サラダにするとか、たいした用途も無いようだ。
逆に内臓などが人気のようだ。焼き鳥の内臓系とか、もつ料理など。マグロのトロ同様、脂っこいもの、味の濃いものが好まれる。

祖母や母は、高価なものは食べずに、「くさや」を焼き、千切ってお茶漬けにしてよく食べていた。
東京ではくさやは常食に近いもので、あの匂いを臭いというのは田舎者ということになっていた。

今くさやは何処にあるのだろう。スーパーの干物売り場の端っこに、そっと置かれているのだろうか。

祖母と母は炒りたまごもよく作っていた。アルマイトの金色の大きな鍋でかき混ぜて甘く作る。
ボクは鍋の底に焦げ付いた黄身が大好きだった。白身の部分は苦手だった。

シャコと鳥のささ身とくさや、そして炒り卵。ノスタルジックな気分で食べてみたい。

病窓四尺…その1

窓辺の臨時ベッドに寝ていると、色々と昔のことを思い出す。それも情緒的な事象ではなく、食にかかわることばかり。ボクは食い意地が張った人間ではないのに、これはどうしたことか。薬の副作用だろうか。

子規の病床六尺みたいに、吐いても吐いても、食べたいなどと到底思わないが、あんな食べ物があった、あれをもう一度食べてみたい、とか、これはまだ食べたことが無いから、死ぬ前に一度試してみたいなどと、とにかく際限が無い。なんて卑しいのだろうと、窓の外の青空と白い巻雲を見つめながら思うことしきり。

で、この際、もうひどくくだらないことばかり書き連ねていこうと決心した。そうしないと、こういったことで頭がどんどん膨らんでいく。吐き捨てるように書き出せば、少しはすっきりして、ブンガクに集中できるかもしれないから。

中学のときに子規の病床六尺の一部を国語で読まされたか、単なる「写生」の句を読まされたか、記憶は遠い彼方。

今ボクのベッドから見える範囲は縁側のフジヅルとかブドウ棚とか、柿の木とか無花果ではない。幸いなことに名も無き雑木の大木数本と半端な竹林、そして空と雲。
この竹林には苦労させられ続けて、毎年出てくる竹を切らないと雑木がやられてしまう。竹の子は余禄。
だからパンダみたいに竹は好きではない。育つと硬いことこの上ない。切るのに苦労する。今はもう出来ないなぁ。

窓の下方にここ世田谷、成城のつまらないマンション群は姿を隠す。有り難い。
雑木には数種の鳥が集まり、無くなった実を探したり、葉や新芽を齧ったりしている。そして、たまに近くのドブ川に浮かんでいる水鳥が気持ちよさそうに飛んで行く。

国文は嫌いだ。中学のとき国文の教師2人に、こればかりだった。バカ真面目だった自分も悪い。ブンガクとは国文だと思っていた。
高校生になって外国文学や哲学に自分で入ってから、世界は開けた。
国文なんていうものは、所詮ノンポリか右傾した学生を生み出す装置の一つに過ぎない。ちっぽけで、うじうじとした、みみっちい世界。
大学まで、結局他人から習うことは何も無かった。何事も自分で考えていくしかないのだ。

そういえば引越しばかりしていた子供の頃、渋谷の宇田川町、つまりパルコの先に住んでいたことがある。この家の縁側は、子規の見た世界に似ていたなぁ。この家から公園通りを下って、センター街のあたりで曲がり、とっくに消えた米屋の横を、今は東急本店の建つ小学校に通っていた。
この小学校の集団予防接種で、消毒していないか使い回しの注射針で肝炎に感染した。一ヶ月ひどくだるいので学校に行かなかったら、教師が単なるサボりではないかと様子を見に来た。ボクは電気機関車の模型で遊んでた。
C型肝炎などまだ存在が知られていなかった頃の話。

この家には祖父母もいた。ボクの両親は金は無かったけれど、祖父は昔、新橋で職人を使った金属工場をやっていて、軍需景気では、金沢文庫に別荘を買ったりそれなりだったようだ。しかしこの頃は長男に跡を継がせ、残った資金で古家を買い取り、適当に補修して売って儲けるようなことをやっていた。だから引越しばかりというわけ。麻布の寿司屋の二階に住んだり、目蒲線の千鳥町に住んだりしたこともある。他にもあるかもしれない。でも忘れた。

父はシべりア抑留で栄養失調状態、そして祖父の結核に感染した。
後半生は機能する肺がほとんど無く、坂の上り下りは大変だった。三男である父には遺産は無く、祖父と暮らす家が全てだった。今ボクが住んでいるところもその成れの果て。

祖父は結核で痰がしょっちゅう出て、いつも機嫌の悪い家父長だった。
ボクは感染しないようにと注意深く遠ざけられていた。
一方祖母は良い人でボクは御祖母ちゃん子であった。なんでも嘘かホンとか、先祖は芝の増上寺の寺社奉行で、化け物退治で勇名をはせたとか。つまり旗本らしい。しかし、江戸っ子は、先祖がなんだったかとか、家の系図がどうだといった話はバカにする。今の自分しかない、つまり宵越しの銭は持たない式の現実主義、刹那主義が江戸っ子の本来の姿。
親戚一同、こういった話を笑い飛ばしていた。

ボクには東京が故郷で、しかし東京はふるさとと到底言える土地ではない。
何一つ残らない土地。残るのはかすかな記憶だけ。(続く)

電気釜を

恥ずかしい話だが、ボクはこの歳になるまでご飯を炊いたことが無い。ご飯はいつも自然と出てきたから。何度説明を受けてもどうやって炊くのか忘れてしまう。

で、今頃になって自力で炊かなければならなくなった。というのも、入院中三食全てご飯であり、やはり和食が必要であると感じたから。とくに魚類はほとんど食べてこなかった。しかし動物性タンパクだけでは体に悪い。そして三食均等な比重で食べるべきなのである。これが消化器に望ましい。

静脈瘤が破裂する前までは、仕事柄、昼過ぎに起きてパン少し。午後9時過ぎに夕食。午前3時ごろから5時ごろ何か書いて就寝というパターンだった。体に良いわけが無い。そうは思っていたが、いまさら遅いのだ…。
ところが入院中は、朝8時に朝食。12時に昼食。午後6時に夕食という繰り返し。これは体が混乱する。そして病院の方がやはり正しい。

ボクは美食家ではない。そういうイヤミったらしい連中は軽蔑する。
トンカツとか天丼とかカツ丼、親子丼とかすき焼きとか食べていれば満足する。結果、高カロリーなものを夜遅くどーんと食べていたわけで、これは間違いなく悪いことだ。

また、ロシア風の前菜とボルシチとビーフストロガノフとか、キエフ風カツレツ。アルメニアやグルジアの料理。ハンガリーのパプリカチキン、チェコの鶏肉料理。ウィンナ・シュニッツェルなどなども、続けばよくはない。勿論、肝臓・胃腸の強い人は問題ないけれど。

ま、といった理由で三度目の退院後初めて外出したのが、新宿まで電気釜を買いに(今までは土鍋で炊いていたもよう。その前はガス釜。どちらもやり方がよく分からない)。
なんとか辿り着いて、購入。その後中村屋でカニピロシキを買いたかったけど売り切れ。更科で御前蕎麦食べて(いつも御前蕎麦。しかし永坂更科はたいして美味くないのに高価すぎる)、MUJIのカフェでウーロン茶がたいそうおいしかった。それにしても尿が出ない。肝臓が機能していないからだ。腹水が溜まっていく。

帰りは数歩歩いて足が攣り、また数歩歩いて攣る、繰り返し。地下街を抜け出るのに大変な苦労。入院で筋肉がなくなっているからで、さらに東洋医学でもよく言われるように肝臓は筋肉も掌るから当然弱体化している。

全く関係ないが、倒れる前にバーゲンで10年ぶりになんとなくスーツを買った。そもそも着る機会などないのに。
しかし、このまま着ないで死んでいくのも悔しいので、なんとか着ていった。
電気釜を買いに、スーツで…哀れな話。

パジャマ原理主義

本来ならば家鴨か、アーニャン教司祭か、それとも閣下かジャックが新年の挨拶をするはずだが、さすがに演出する体力と気力なく、吐血以来グータラなパジャマ生活を送る我が身を晒すしかない。

それにしても、無意味な延命工作を未練たらしく続けている自分と、未来のある子供や青年たちがイスラエルに無差別に殺されていくパレスチナ、とくにガザ。輸血もできないだろうしモルヒネも無いだろう。出血も止められず目の前で死んでいく。

12月30日の麹町イスラエル大使館へのキャンドル抗議集会。寒いところに待たされて立ちつくす体力なく、不参加。思えば車椅子のヤシン師をイスラエルのヘリがミサイルで葬ったときも、同じく車椅子のハンディキャップのパレスチナ人を、戦車かブルで轢き殺したジェニン侵攻のときも、わがNGOは同じ抗議行動だった。イスラエル、パレスチナ双方の犠牲者に黙祷と…。そして大使館の門のポストに抗議文を投函。大使館からは誰も出てこない。多分申し入れ書は屑かごの中だろう。

今回の申し入れ書も、ハマスはロケット弾攻撃を中止し…、が最初に書かれている。つまり喧嘩両成敗ということらしい。建て前だとしても(誰に遠慮、配慮しているのか知らないが)、これではバカな日本政府見解と変りは無い。NGOとは所詮そんなものなのだ。
A.ネグリが言ったように、NGOは結局政府の周辺組織。マルティチュードとともに闘う組織ではない。

有志連合軍によるアフガニスタン攻撃やイラク戦争のとき、非対称という言葉が流行った。アメリカ軍兵士一人に対しイラク軍兵士1000人だか10000人だか忘れたが、人の命の交換比率。あるいは誤爆で死んだアフガニスタン人への補償額と貿易センタービルの死者に対する補償額の落差。「非対称」。吐き気をもよおすイヤな言葉だ。

しかし、この醜悪な言葉を使用するなら、ハマスのカッサムロケット弾500発。その内やっと1発が命中するかしないかのような素朴な兵器と、電子機器満載のイスラエルの最新鋭の攻撃機やヘリ、無人偵察機、ミサイル、戦車、巨大なブルドーザーとの非対称。そしてこの非対称を補填するためにパレスチナの自己犠牲、自爆攻撃や投石が存在する。こうして非対称はますます非対称を増大させる。極限まで。

もう一つ。報道、マスコミの非対称。
「イスラム原理主義ハマス」の原理主義という修飾語。いい加減にして欲しい。もしこれを続けるなら、「キリスト教原理主義ジョージ・ブッシュは云々」、と常に表記しなければバランスが取れない。

自爆テロも自爆攻撃と正しく訳してもらいたい。
さもなくば、「今回のイスラエルの国家テロは…」とか、「国際テロ組織アメリカ合衆国のジョージ・ブッシュは…」と書いてもらいたいものだ。マスコミは、先ず第一に正確な用語を追究しなければならないはずだから。

さて、ボクは昨年来パジャマ原理主義組織の一員。ただ食って糞して寝て死を待つだけの組織だ。世間的には、無害であるが、無害であるとは存在意味が無いと言うこととほとんど等しい。
残念でならない…

韓国版カワカマスのヴァイオリン

韓国で「カワカマスのヴァイオリン」(東文選)が刊行された。
「ヤンとカワカマス」の次がこれということは、多分わかり易いからだろうな。

初めて契約したのが確か1999年。出版のテンポというのはこんなものだ。
この数ヶ月先さえ読めない時代に、なんとも不思議な世界が残っている。

それはそれとして、10冊目の翻訳本。
数字になんの意味も無いが、それでも、なんとなく嬉しい。
病に倒れると、感慨深くなるものなのかな…。
多分、ひどく弱気になるから。

おそらく、丁寧に訳されているのだろう。ハングルは相変わらず読めないけど、なんとなくそれは分かる。ただ、カバーの絵は、ボクは彩色したことがないヤツ。装丁家が勝手に色付けしたのかな…。ベニテングタケじゃないんだけどなぁ、このキノコは…。

しかし、訳者の一人でボクの作品をこよなく愛してくれるキムさんのメールを読むと、ただただ、嬉しく、感謝あるのみ。今この時も、韓国のどこかで誰かが、この作品を読んでいるのかもしれない。

以下はキムさんのメール…(原文のまま)

先生、こんばんは。無事に届きましたね。
ちょうど先生にメールを送ろうと思って入ったばかりです。先ほど帰宅しました。夜、外国語学院で日本語を教えています。

今日、東文選の社長に会いました。本が出てからまだ会っていないからです。社長はいつも先生に’頭が上がらない’と言っています。表のイラストにつきまして、前もって先生に許諾を得ていないことにも申し訳ないと、後は伺います。
社長は今年大変だったそうです。むりやりに何かをしようとしても運が詰まる今年があるでしょう。来年はいい予感がするとのことで、頑張ろうと思っているそうです。
それながら、編集長は韓国では最高の実力だと指折られている編集者さんで私のつまらない翻訳を練るに練るを繰り返すわけで時間がカかり過ぎることになるんです。
編集長も社長も’ヤンはとても愛らしいので、こんなにいい作品はちゃんと作らなければならないと、心の丈を尽くしています。先生に恥ずかしくないちゃんとした韓国版を作ってから先生のところに伺うと言っていました。

来年は社長も編集長も私ももっと頑張ります。
先生にもラッキの女神様がウィンクしますよ!
韓国のキム

草原の祝祭・新版

拙著「草原の祝祭」の新版が完成した。
二、三年、いや、その前から依頼されていたのだけれど、なかなか手直しが進まなかった。

ここに来て、残された時間など考慮して、入院中にエピローグの校正を終え、簡単な後書きを付け加えた。
そして、家に戻って装丁の作業。
こうしてなんとか完成したが、クリスマスの店頭には間に合わないだろうな。

初版との違いは細かく見てゆけばかなりある。全頁手直しした。しかし、ほとんど気がつかないだろう。

地図も新しく載せた。これは役に立つはず。
サヴィンスキは勿論、オネガもソロヴェツキィ島も
見つけることが出来る。
ただし、サヴィンスキが鉄道から離れているなどと
文句を言わないでもらいたい。これはフィクションなのだから。

また、イラストは、初版時はデジタルではなくて写真撮りだったので、
かなり粗雑だったものが、この新版では原画に近い状態で再現されている。
やや薄いが、これはもともと鉛筆画なので原画もこんな感じなのだ。

全体としてほぼ満足の行く出来上がり。
今まで英国版に負けていたが、互角になったかな…

韓国の閣下とジャック

去年、2007年の6月に韓国で「閣下!」
の翻訳本が出版された。

「閣下!」と「閣下2」の二冊と
当ホームページの「閣下とジャック」
から、翻訳者(「ヤンとカワカマス」
の訳者でもあるキムさん)と出版社
(samingbook)が選び出して一冊に
仕上げたようだ。

ソフトカバーで軽いサブカルチャー本
といった感じ。ハードカバーより似合
っているなぁ。

で、韓国読者の受けは?
これがなかなかよく分かっている。
ネット上に30くらいの感想が載って
いて…とにかく皆よく書くこと、驚き。
なるほど東洋のラテン、KOREAの人々。
政治・社会に関心深く、自分の問題として考えている。
外国の翻訳本だから評価が甘い、ということはあるのだろうけれど。

でも日本に対してはある種の色眼鏡があると思っていた。
厳しい視線があると…
それが全くない。

それにしても日本ではまるっきり感想がなかった。
そんなものかもしれないけれど、寂しいナ…

OhmyNews(韓国のネット新聞)では、
「韓国の読者のために」というボクの前書きを引用しながら、韓国大統領選について記述している。

http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000796115

こんな調子なので、今連載している岩波「世界」においても、ケチ臭いヤホン(邪本=日本)のことは後回し。なるべく世界的なことにこだわろうと思っている。というか、ますますそういう気分になっちゃうナぁ…

完売絶版御礼

「ヤンとシメの物語」がやっと完売となったようだ。
つまり版元の在庫が 0 となったということ。
1、2冊、どこか片田舎の古びた書店の棚でホコリを被ってスヤスヤ眠っているかも知れないけれど、そんな書店も昨今すっかり淘汰されてしまった。
「草原の祝祭」も、在庫は多分ほとんど 0 に近いはず。というわけで、この 2 冊、目出度く完売絶版。

「祝祭」はとりあえず英語版と中国語版が手に入る。「ヤンとシメ」は残念ながら翻訳は無い。ということは読者の手元にあるだけだ。どうかそのまま手元に置いて欲しいモノだ。数十年経てば数倍に値上がりしているはず(^_^)v

というわけでボクはネットでこの二冊の古本を数冊手に入れた。自分の本を買うのは抵抗があったけれど(それも古本を)、慣れてくれば、どーということもない。

ブルガーコフの古本が神保町でたしか 6800円くらいしていたから、それが目標だ! …まてよ、数十年…その前にお陀仏か…(-_-)

この二冊、購入して頂いた方々にはなんと御礼を言ったらよいか言葉が見つからない。せめて連帯の挨拶だけでも送りたいと思う。ほんとうに有り難うございましたm(_ _)m

ただここで、いつも感じる違和感、戸惑いというモノが残る。というのも、ボクは印税も契約金も受け取っていないからだ。そもそも契約書もないのだから当たり前なのかも知れないけれど。

以前、ヤンの展覧会に来た人に「この本買いました(^^)」と言われたことがある。当然ボクは、ありがとうございます<(_ _)>と応えた。

ここでボクの立場は、作者 - 版元 - 取り次ぎ - 書店 - 読者という、資本主義経済下の商品流通、交換価値の本来の流れから疎外されているわけなので、ボクが「ありがとうございます」と言うのは、ヤンの本を選んで下さってありがとう、読んで下さってありがとう、という意味においてであって、ことの背後に隠れている生産者と消費者の交換価値を仲立ちとした関係ではない。ある意味でこれはとても純粋であり素晴らしいことなのかもしれないが…。

しかし、それが何回も続くとさすがに、なんだかナ…といった気分となってくる。ボクの本はボクにとっては交換価値がなく、読者には商品であるという自己矛盾。

ボクは長年これに悩んできた。経済学部出身だからとくに…(-_-)悩む。そしてなんとなく寂しい気がする。自分の作ったモノに一銭の価値もないということ。その程度のモノなのか…と。

ヤンとカワカマスの後、「この次からは(印税が)出ます」と言われて、張り切って書いた記憶がある。たとえ僅かでも労働の報酬というものはウレシイモノだ。そして自分のオリジナルなモノが売れたときは、なおさらだ。

発行部数が少ないから仕方ないか…、とは思う。しかし、同程度の部数でも外国では払ってくれる。これは翻訳されて分かったことだ。多分、日本では売り切るのに時間がかかるので、莫大な倉庫料がかかるのだろうな。

こうして8年が過ぎていった。なんだかナー…、と思い続けて。

ケチ臭い話になってしまい申し訳ないが、想像力のオリジナリティーにこれほど価値がなく、疎んじられているこの国の現実はやはり哀しい。

アーニャン教、新年 追っ払いの儀

「ブッシュ殿、コイズミ殿、ブレア殿、プーチン殿、シャロン殿 (あともう少しで逝けるぞ ! がんばれ !) その他、資本家、権力者諸々…

世の為、地球の為、一刻も早くあの世に行かれんことを…」

「アーにゃん」

「……」

 

「立つ鳥、跡を濁さず」と言うが、オレは、できる限りの糞をしてこの土地を飛び立とうと思う。 身を軽くし、
より遠くへ、
より遠くへ、飛ぶためだ。 …さて、そろそろ出発だ。
悪いが席を外してくれないか?

Yan and the Christmas Tree

熱帯雨林気候、東京も冬らしくなった。
冬枯れの中、(イラク)反戦、じえー隊撤退デモもさすがに枯れて50人ほどになった時もあったが、それはそれでかえってすっきりした。
これ以下はないだろうと…。

しかし、TOKYOの人口密度からいって、なんと……いや、もう言うまい。この国の人間はボクの理解力を超えている。

さて、ブンガクを捨てて数年が過ぎ、今頃になって「草原の祝祭」の英語版、'Yan and The Christmas Tree' がイギリスで出版された。

現地では 2004年の10月頃に印刷されたようなのに、こちらには洒落のつもりか、クリスマスに郵送されてきた。

前回の 'Yan and The Pike'「ヤンとカワカマス」の時は発行までに時間がなかった等々の事情により、誤訳や改編がひどかったが、今回は予定より一年遅れとなり、結果、翻訳については十分な意見交換を行うことが出来た。

もっともボクの英語力は中学程度なので、その範囲での話ではある。この本の決定版を作りたいという密かな思いもあったので、不愉快な英語グローバリズムは仕方なくこらえた。

内容については、イギリス人は暗喩を嫌うのか、はたまた理解できないのか、比喩の表現がいろいろと単純化され、カットされた。
このため、これはブンガク(こういう時だけこの嫌いな言葉を使う自分が情け無い)であって、ハリーポッターとか、お前さん達お得意のバカバカしいファンタジーじゃないんだぞ! と何回かやり合った。

ヤンの意識の流れの場面では、切りのよいところで one day とか勝手に挿入して整理したがる。
読者に分かるように…、とかいう理屈で。

これに対しては、「時には読者を迷子にさせて自分で考えさせるんだ!!「全て何から何まで分かる必要なんてないんだ!!」と直ちに削除させた。

もう断ろうか…、と思ったら、
「僕たちはこの作品を愛している」とくすぐられ、まあ仕方ないか、と折れた。もっとも原文には意味不明の箇所が数多くあって、よく訳せたモノだな…と感心してもいる。

ヤンとチェーホフの直観論議などは、かえって整理され、さすがは近代合理主義の国だと納得(もっとも、こちらもかなり妥協したけど…)。

こうして刷り上がったページをパラパラめくると、「あ!…」と間違いを見つけるが、それも、今まで見たこともないキノコを見つけた時のような楽しさに通じるから不思議。

ところでこの本は、ヤンのシリーズの中では一番突っ張っている本だ。
No が、なんとたくさん出てくることか!!
それでもヤンが No not at all と発する時、とても小気味よく響く。

翻訳についてのやりとりで特に面白かったことは、
「神など存在しない」というヤンのセリフに、
彼らは We animal don't have a God. と、animal を挿入したことだ。

ボクは人間も含めて神は存在しないと言わせたつもりだったのだが、
そこに勝手に animal を入れるのでナルホドと思った。
勿論この animal は削除させた。

全てのヤンの本の通奏低音をなしているモノは、宗教、神、権威・権力の否定ないしは、そういったモノへの反抗なのだが、
…つまりヤンは実存を追求するネコ…、
訳す時にそれを妨げよう、和らげようという意図が(彼らの無意識の内に)働くのを見るのは大変興味深かった。

挿絵の印刷、表紙のデザイン、非常に満足。

ペーパーバックも気に入っていて、このサイズならどんなバッグにも楽に入る。
つまりヤンはどこにでも出かけられるわけだ。

というわけで、今回の本は 85点くらい。
自信作と言ってもいいかな?
そして、訳される快感を充分味わえて痛快だった。
訳した人にはひたすら感謝、感謝。
ボクは上っ面だけいじくってあれこれ文句を言っているだけなのだから。

それにしても未だによく分からないのは、極東のど素人の自費出版もどきの本を翻訳出版するところがあるということ。

あらためて読み直すと、実にくどくてつまらない作品なのだけれど、
突拍子もないモノ(動物とか)がよく出てくると思った。

つくづく妙な本だと自分でも思う。勿論部分的には美しいところもある。
しかし絵がひどすぎる…。
今だったら…もう少しましだろうと。

それでもボクはこの本を愛している。

コンスタンチン・トロチェフの詩

眠れない。仕方なくゲンナジ・アイギの訳詩集を拾い読みしたが、どうも気分じゃない。沈黙と静寂の詩人。確かにそうかも知れないけれど…

神々しいメトロノームによって
燐光を発する
野生のリンゴ
幼年時代という名の

(たいして面白くないありきたりのイメージだ)

この
見えない火は---守られてある
いくたびか見えない風によって
……省略
われわれはますます接近していくかのよう
あの光源に:最強の光源に---繊細極まる
弱さでもって:おお地面に対してと同様---植物のまにまに---光線の成熟
として
……省略

(原初的なイメージ、光や静寂。でも余りに抽象的で、かけはなれている世界。世界から隔絶した、原始宗教のようだ…)

ロシアの奥深くチュヴァシのどこか。余りに遠い。今のボクには、静かに観照する余裕がないのか、あるいはこの人の詩を訳すことが無謀なのか、あるいは、もともとそれほどのモノではないのか?
詩とは、ほとんどどれもこれも結局「私」なのだ!

そのことに我慢できない時がある。我慢できない自分がいる。シャロン、ブッシュ、プーチン、ブレア、コイズミ……こいつらの吐き出すきたない息を吸わされ、共に地球の大気を吸っているオレ達に、そんな詩が書けるか! いっそ癒しだけの詩なら、もっと分かりやすくしろ!

ことばの原初的な有り様で思い出した。数年前に買ったコンスタンチン・トロチェフの詩集「うたのあしあと」(土曜美術社出版販売) ロシア人だが日本語で書かれている。
たとえば…

「いい人」

洗面器の
水にうつる絹のような
青空に
白い雲は
いい人の影

トロチェフさんの父は革命の混乱期、軍艦を奪って日本に逃れた公爵で、母は日本の映画で主役を演じたそうだ。祖母はロシア公爵の娘で、ポーランド貴族と結婚した。戦乱のさなか天勝一座と日本に来た。

トロチェフさんはハンセン病を患った。したがって、その詩は群馬県の栗生薬泉園で書かれたモノだ。

「びょういんのさくら」

びょういん の こうえん に
たくさんな かんごふ みたい
さくら の はな
びょういん の こうえんで
もと の かげ の よう
かんじゃ の すがた

えだを つかみながら
かわいい はなを
とけた かお に
ちかづけた

文節に切り、ときには助詞すらも文節となる。一つの単語に。最も純粋な日本語がここにある! 我々がとうの昔に忘れてしまった、懐かしいこの国のことばたち。

「サンデー・セレナーデ」

ぎんざの川
てんごくまでとどく
日よう

みんなきょうだいのきぶんで
ぎんざを およごう

この一日だけでも
かなしみとなやみを
四じょうはんにあずけて

好きじゃない歌謡曲のようだけど、子供の頃の銀座の雑踏を思い出す。忘れることの出来ない昔々の銀座のクリスマスの人混み。

新橋のガード下。ゆきずりの酔っぱらいが、ボクに買ってくれたブリキのおもちゃ。傷痍軍人たち。救世軍のラッパ。雪のクリスマス、雪の中の野良犬。

…みんなきょうだいのきぶんで ぎんざをおよごう…

なぜかこの一節に泣けてしまう。
ロシア的な心、広がり、あたたかさ…も感じるからかな?
トロチェフさんは敬虔な正教徒とのこと。

やはり、詩は所詮歌なのだと…君は思う?

チェブラーシュカ、君はどこから来たの?

ロシア・アニメのチェブラーシュカは、うっかりオレンジの木箱の中で寝込んでしまい、そのままオレンジに埋もれて、はるばるソ連に来てしまった。
でも、どうしてオレンジなんだろう?

ソ連にオレンジ? バナナだったら、党幹部の食卓にはありそうな気がする。でも、街の果物屋にオレンジが出回っている?
オレンジを産出するソ連の友好国って、あったかな?

作者は、見知らぬ遠い国を連想させる果物として、オレンジを選んだだけかもしれない。児童文学だから、少しぐらい社会主義リアリズムを逸脱しても大丈夫だったろうし‥‥‥(そういえば、子供の絵本や児童文学は1930年代には、社会主義リアリズムと相容れないアヴァンギャルド作家たちの避難所、隠れ家でもあった。)

でも、なぜオレンジ?…と、何となくひっかっかていたナゾが解けた!?

イスラム、ユダヤ、キリスト教の宗教施設が犇(ひし)めいているエルサレムには、勿論、金色に輝く玉葱屋根のロシア正教の聖堂もある。この聖堂を中心にしたロシア人地区には宿泊所・診療所・食堂などの施設が完備していて、帝政末期には年間2万人ものロシア人巡礼が訪れた。

が、1917年の革命後、巡礼は途絶える。
1964年、ソ連政府はロシア人地区のほとんどをイスラエルに売ってしまう。
なんと、代金はオレンジで支払われた!(注1)
チェブラーシカが登場する「ワニのゲーナとなかまたち」が出たのは、1966年。

(写真はその日本版、「チェブラーシュカ」 エドゥアルド・ウスペンスキー作、児島宏子訳)

チェブラーシュカはパレスチナから来たのだ!

チェブラーシカは、熱帯地方の森に住んでいたと言っている。パレスチナは熱帯ではないけれど、ロシアから見れば、南の暑い国になるだろう。それに、熱帯地方にはオレンジ農園はない。自分たちで輸出する手段を奪われているパレスチナ人は、パレスチナのオレンジをイスラエルに売り、イスラエルはそれに Israel産のラヴェルを付けて、世界中に売る。

チェブラーシュカは、うっかりオレンジの箱に閉じこめられてロシアに来てしまった。パレスチナの映画「3つの宝石の物語」の主人公ユーセフ少年は、南アメリカに行きたくてオレンジの箱に身を潜めた。

イスラエル占領下のガザ。ユーセフは首尾よくオレンジの大きな箱の中に身を隠すが、オレンジは外出禁止令のために出荷できない。翌朝、箱から出てきたユーセフはイスラエル兵に射殺されてしまう。イスラエルの刑務所からやっと解放されたユーセフの父親は、拷問のために身も心も病んで、オレンジを食べ続ける夢想を妄想に化して話し続ける。(注2)

壁で囲まれてしまったパレスチナには、まだオレンジは実っているだろうか? それとも、イスラエルの戦車に根こそぎにされてしまっただろうか?
ロシアには今では、スペインからもカリフォルニアからもオレンジは届くだろう。

チェブラーシュカ、君は故郷のことを忘れてしまった? それとも、心深く想っている?

チェブラーシュカ、君の故郷はパレスチナ? それとも、もっと遠くの国?

でも、パレスチナの人々とパレスチナのオレンジのことを忘れないでほしい。

(text by かなりドラネコ)

(注1)「エルサレム」アモス・エロン(村田靖子訳、1998年、法政大学出版局) 304、306ページ (注2)「3つの宝石の物語」(1995年 ミシェル・クレイフィ監督)

装丁

工藤正廣さんのパステルナーク・シリーズ第5冊目「早朝列車で」が店頭に並んだと思う。すくなくとも大手書店にはあるはずだ。

正廣さんの御指名で、ボランティアーとしてこのシリーズの装丁を手がけてきた。もちろんボクは装丁など全くのシロウトで、自分の本の装丁しかやってこなかった。

だからパステルナークのデザインも、自分の本「小ネコちゃんて言ってみナ」「善良なネコ」と同じだ。ただ、イラストの所をを写真にしただけ。
デザインというものは苦手だった、昔から。

それでも本屋に並んでいるウンザリする表紙デザインや活字(フォント)には文句を言いたい。

ただ汚いだけじゃないか!
馬鹿でかいタイトル!
カラーセンスのない配色!
ただ目立てばいいのか!
ゴミ集積所とどこが違うんだ?

唯一マシなところは洋書の写真集コーナーぐらい。
黒地に銀塩写真が載っているようなヤツだ。
まあ、黒地じゃなくともベージュでもいい。贅沢な布もいい。
とにかくシンプルでウルさくなく、部屋のテーブルの片隅に投げ出されていても、周りと溶け合って気にならないようなヤツがいいんだ。

ピンクとか紫とか、死んでも使うな!

というわけで、工藤正廣さんのパステルナーク訳詩集は、実は、写真集スタイルを流用しただけ。「イスタンブールの占いウサギ」、あの表紙がその走りだった。ヤンと占いウサギを、ギリシャ人の写真屋が撮ったという設定だったから。

とにかく装丁は、あっさりとやって欲しい。

たとえば、みすず書房の装丁が光るのは、あの美しいフォントだけで出来ているからで、タイトルと作者がすっきりしたフォントで刷られていれば、それで十分なのだ。まあ、あとは、作者の写真とか、ゆかりの土地、風景、品物…そういった情報があってもいいかな。

それにしても作者、作品に対するあまりの無理解、無神経が横行しすぎている。

このV・ナボコフの短編集。ナボコフのガラス細工のような繊細さとナイフのような鋭敏さ、そして緻密な天才的構成。それを想った時、なぜこのような活字が出てくるのか?!

おまけにこの活字、虹の銀色なのだ…ああ(>_<) これが装丁家の仕事…?
このカバーを前にすると、なかなかページを開く気になれない。

装丁家は装丁しない努力が必要だとつくづく思う。
そうすれば事態はいくらか改善するだろう。

労働・ファッション・墓

この国でなにをするのも、もはや無意味であると絶望して、ホームページも意味がないと、もう、なあんにもやる意欲がなくなって、ただ暑い日が過ぎていった。

たとえば、パウエルがイラクに大量破壊兵器はやはり無かったと、イラク戦争の根拠を否定した日の新聞のトップは、
なんとプロ野球のストだった。

そして、この無法の戦争をまっ先に支持したコイズミのせんそー責任について、いったいどれほどの議論が今なされているか? 毎日が野球の話。

おそらくこの国では、ストライキという死語が、どこかの遺跡から掘り出され、ああそういうものがあったのだ…!!と、懐かしさ、あるいは、全く新しい種の発見として、労働組合すら見たことも聞いたこともない人々に、興味を持たせているに違いない。

労働者、労働組合、団体交渉、ストライキ…このような言葉が、

プロ野球を通して、芸能ニュースとして取り扱われる国…

そのうちストライキもファッションになるかもしれない。
しゃれたバリケード。
よくデザインされたプラカード。(これは賛成かな)
かっこいいアジテーター。

十年ほど前、アニエスbの店でゴダールのポスターを見た時、商品経済のどん欲さに脱帽した。
たとえアニエスbの経営者がゴダールを支持しているとしてもだ。

「中国女」のポスター。「東風」のポスター。確かに似合うだろう。
所詮ゴダールそんなもの。

しかしだ、…68年5月革命はファッションじゃないんだぞ! 今日、何年ぶりかにオヤジの墓参りをした。芝、白金にある寺。
誰かが墓を新しくしていて、…もう親戚付き合いのないボクにはどうでもいいことだが…ありきたりのつまらない墓。
墓石が三段に積まれている典型的なヤツ。
何々家としか書かれていない。
故人の名はひとつもない。これで墓か… ? 石一つでいいんだ、そこに名前が書いてあれば。
戒名とか言う訳のわからないものも止めろ。
自動車、住宅、墓…この国でデザインの根本的改良が必要なモノはいくらでもある。

無印が墓を造らないかな? シンプルなヤツだ。
いや、樹木葬というヤツもあるんだっけ。

いまだに家にある母の骨はどうしよう? あんな墓には入れたくない。

いつもは、買っていったちっぽけな花束を敷石の上に放り出して帰るのだけれど、この墓の形ではそれもできない。
仕方なく花入れに差し込んだ。

その墓参りの帰り、青山のギャルソンの前を通ったので、ひやかしに入った。数年ぶり。

入り口の両脇に炭鉱労働者らしき写真が置かれている。
フム…ギャルソンらしい?

しかし外国の労働者。日本のだったら暗くて悲惨だから?
それがファッションというものか…。

いっそのこと太平洋戦争中に日本に強制連行された朝鮮の労働者達にしろ!

中にはいると、正面に新しく開発したらしき香水が置いてある。
労働者用の香水?!
値段は見なかった。
オーデコロンのテスターを振りかけたらシナモンの匂いがして、汗と混じり合った。
これが労働者の香りか?!

男物は相変わらずつまらない服。なにひとつ新鮮さが無い。

炭鉱労働者の服をそのまま売ったらどうなんだ?

こうして過剰な、いや余剰な商品経済は、労働運動、労働者そのものすら商品に換えるのだ。
なんとファンタスティツク!!!

(右上photo:「中国女」(監督ゴダール) のアンヌ・ヴィアゼムスキー)

ガキジジイ

一ヶ月、ただ絶望していた。すべてに。
非人間的なTokyoの気温も…。

しかし絶望していても新学期は始まる。世間は決して絶望しないからだ。
どんなことが起きても。どんなことが起ころうとしていても。
世界がどうであっても。

さて、くだらないことを書いて始めよう。くだらない世界で生きることを。

最近のガキの中には蝉の声がうるさいというヤツがいる。
今年の5年生、去年の5年生…。

不思議なことに、奇妙な共通点がある。
落ち着きがなく、他人のことを異常に気にする。
イラク戦そーを支持し、米軍戦車や飛行機をかっこいいという。
自衛隊も、もちろん好き。

対して、イラク人は西部劇のインディアンと同じような存在らしい。
ボクがアメリカは嫌いだというと、「先生はイラク人?」 と言う。
この論理の飛躍が象徴的で面白く、かつ、ぞっとする。
幼少の折から骨の髄までアメリカに組み込まれているわけだ。
そりゃそうだろう、ディズニーランド、マクドナルド、ケンタッキーなんだから。

他人の欠点はこと細かくあげて、自分が何か間違えると、すぐごまかす。
それがどうにもごまかせなくなると…、切れる。泣く。
車で送り迎え。購読紙は、読売。コイズミ支持でブッシュ支持と公言している。
ご贔屓(ひいき)は巨人軍、ワタナベとかいうジジイも嫌いではない。
古田は嫌いだと言っている。

強いものが好きというのは、小学生の時期なら当たり前かも知れないが、
ここで末恐ろしいのは、
「自らが強くなりたいので強いモノに憧れる」というのではなく、
「強いモノに既得権益を守ってもらいたい」という、
まさに保守としての支持だからだ。

たとえば常日頃、「楽をして暮らしたいんだよ、会社とか行くのいやじゃない?」と言っている。
まあ、ビルとか持っているのかも知れない。

戦国武将が好きで、城が趣味。水戸黄門を欠かさず見る。
おそろしくガキジジイなのだ。運動能力はひどく悪い。
ゲームは好物らしい。一人でしこしこやっているようだ。
子供らしいところが一つも見つからず、この歳で、ただただイヤみったらしいだけ。

先日シモキタの雑貨屋で買った、ヨゼフ・チャペック(カレルの兄)の
「こいぬとこねこは愉快な仲間」(ボクはこの作品、結構気に入っている)
の挿絵のシール(150円くらいのモノ、右上写真)を、小さな額に入れて
教室に掛けた。可愛いからだ。

それをめざとく一番に見つけた今年のガキジジイはこう言った。
「この絵買ったの? いくらした? ぼくらの月謝で買ったんだな」

ホームページこの一年

ホームページをはじめて1年が過ぎた。
もともとパソコンとか、デジタルな世界は好きではなかった。
ネットの状況もいまだ公衆便所の落書き状態から脱してはいないし。
でも、結構満足していることも認めなければならない。
なんといっても、あまり費用がかからずに表現出来るということ。
これほどのカラー印刷を本の世界で展開したら、いったいいくらかかるだろう。
社会的風刺もタイムラグなしに可能だ。
そしてなんといっても、思いつくまま自由奔放に表現できる。イタズラも。
それはつまり、全体性を志向しうるということ。

たとえば、ヤンがただの癒しのネコではないということ。
ヤンの世界は、こういった全てを背負っているということ。
もっとも、そのせいでヤンの本が嫌いになった人もいることだろう。
でも、その人は、もともとなにも理解せずに読んでいたのだから仕方のないこと。
仕方のないことが層をなして人生は出来あがっていくものだ。

この一年、ほぼ世界の全てががイラク戦争に費やされた。
そしてイスラエルによるパレスチナの圧殺は、非日常の日常化。
アメリカがイラク攻撃を開始した頃、新聞で目にしたコラムにこんな言葉があった。
---「小説家の仕事は社会参加(アンガージュマン)ではない。小説を書くことだ」

確かに知識人のアンガージュマンの時代とは、半世紀も前のこと。
それに、そもそも今、この国のどこに知識人がいるんだ?
しかしだ、小説家はひとりの市民にすらなれないのか!?
デモに参加することもできず、ただ黙々とくだらない小説を書くだけの存在なのか?
ピースウォークに参加したって、小説を書く時間が大して減るわけじゃない。

ボクもひとに言われた。
---- 作品で訴えるのが仕事なのでは? --- と。
---- 作品で訴える。あなたには、あなたなりの役割がある ---
聞こえの良い言葉だ。

しかし残念ながら、ボクらはちっぽけな虫けらのような個人なのだ。
あらゆる事象の前提として、ボクらはひとりの人間で、それ以上でも以下でもない。
その無力な人間が持つ最低限の権利を行使せずに、一体何を表現するというのだろう?

ここで小説家というのはたとえであって、詩人とも芸術家とも、大学人とも、学生とも、言論人とも……全ての1人1人に言い換えられる。

チリの詩人ネルーダは、アメリカ大統領ニクソンがベトナムを無差別爆撃した当時、次のように書いている。
---「ただ詩人たちだけが、かれ(ニクソン)を壁にはりつけ、痛烈で致命的な詩句によって、かれを穴だらけにすることができる。詩の義務は、韻律と脚韻の砲撃によって、かれをぼろくそにうちのめすことである……」1973年 (「愛と革命の詩人ネルーダ」大島博光より)

さて、ニクソンの所にブッシュを上書きしてみよう。
---「ただ詩人たちだけが、ブッシュを壁にはりつけ、痛烈で致命的な詩句によって、穴だらけにすることができる」

30年、世界はなにひとつ変わってはいない。

2004年7/4 シブヤ

とにかく暑い!! 頭も体もカッカしている。
気温だけの問題じゃない!
7/4のシブヤのピースウォーク。逮捕者が3人出た。
まったくの不当逮捕。
あいつら(キドー隊)は、こちらの体がちょっと触れただけで、逮捕する。
速く歩けだとか、いろいろちょっかいを出してきて、たえずチャンスを窺っている。

いつもは遅刻するのに、なぜかこの日は20分ほど前に会場の公園に着いた。
そして、写真家の後藤さんらと話たりしていたので、なんとなく前の方に入っていた。
いつもは遅刻のせいで一番後ろあたりを歩くのに。

一悶着は最後尾であったらしい。キドー隊の挑発だろう。
(ふつーは、前の方が規制がうるさく、後ろはいい加減なんだが…)
ボクも後ろにいたら、蹴りの一つでも入れていて、しょっ引かれていたかも。
ほんとに不愉快だ。60、70年代の学生デモと比べてみろ!
今歩いている中には、お年寄りや高校生や子供、それに障害のある人もいるんだ!!

立川反戦ビラ事件や杉並の落書き事件。理由にならない理由で権力は
弾圧を始めている。
コイズミ=イシハラの下、権力は、おそろしく醜くなっているのだ。
そしてこの二人とも、ヤクザとつきあいがあり、若い頃からスキャンダルまみれ。
頭は空っぽで、ワンフレーズしか言えないゲーノー人。
こうまで最低の人間が何故支持されるのか!?

ヤホン人は彼らの中に、おのれと共通する何かを見いだしているのか?
それとも共通しないモノ、自らに足りないモノを見いだしているのか?
それはある種の羨望なのか? なんと醜い羨望。

実は、弾圧の首謀者は、コイズミ=イシハラではない。
この国の民、つまりヤホン人そのもだ。
マイケル・ムーアのように、「恥を知れ!!」と叫びたいネ。

セメント遊び

ここのところずうっとセメント工事に凝っている。ベランダの鉄骨がとっくに腐り、触ると、ぽろぽろと落下する。その内とうとう鉄骨構造の一部が無くなってしまった。よーするに、つまり、ベランダの一部が手品のように宙に浮いている状態。
まあ、仕掛けは、他の部分に支えられて均衡を保っているということなんだろう。

鉄骨の修理は不可能と思われた。せいぜいペンキ塗りくらいで。
ある日、穴のあいた部分にセメントを詰めてみた。気休めとして。
詰めながら腐った鉄骨を叩いたりするとどんどん壊れていく。仕方なくまたそこにもセメントを詰めていく。
毎日二、三時間ほど作業を続けていくと、鉄骨の変わりに、腐った鉄とセメントの融合体が生まれた。

ただ問題は、完全に失われた鉄骨部分で、これはどーしようもないと思われた。
ここでジャックのように頭の上で電球が光った。
鉄筋を渡してそれをセメントで固めること。

20年ほど前、やはりコンクリの工事をやろうと思って(どこをどうしようとしたのか…忘れた)買ってあった鉄筋がある。
いつものことだが、ああしよう、こうしようと、計画はあっても、たいがいそのままなのだ。
ただ、こうして長い時の後に、役に立つことがあるものだ。

こうして鉄筋を渡し、木っ端で枠を作り、セメントで固める。
なんとかつながった。
セメントは必ず固まり、決して裏切らないから好きだ。
ただ、練りが弱いとべたべた落下する。何事も粘りが必要なのだ。ボクの一番の弱点。

うまくいくと、あちこちセメントで固めたくなる。
昔はよく床下に潜って腐った木の土台をセメントで固めた。這いつくばっての難工事。全身泥まみれ。
雑誌のインタビューでこれからやりたいことは? と聞かれて、床下の土台工事と言ったことがある。それくらい大切な作業だ。
なにせ、この高温多湿のアジアモンスーン気候の下、なんでもたちまち腐る。もちろん人間の心も。羽蟻も大量に発生する。
ここでの生活は、もうほとんど腐敗、腐食との闘いだった。雑木の下は、異常に湿度が高いからだ。

北方の写真などを見ると、灰白色の風格ある枯れ木が横たわっていたり、風雪に洗われた柵が荒れ地に立っていたりする。ああ、あちらでは腐敗の進行が緩慢なのだと、いつも羨ましく思う。

でもこうやって梅雨の晴れ間にセメントをこねているのは、そう悪いことじゃあない。
美術も音楽も本も、世の中のことも、ブッシュもコネズミもどーでもいい。みんなセメントで固めちゃえ。

「つまりこれはボクにとって、インスタレーション(※)の一つなんだ」、と満足感に浸っていると、いつものキジバトがやってきて、ヒマワリの種を催促する。

「また!? さっき、あげただろう?」
「ポーポー」

※インスタレーション: 昨今美術界でよく使われる単語。文化祭的張りぼてのような、くだらない装置、仕掛け

韓国ヤンシリーズ

韓国でヤンのシリーズの1として、「ヤンとカワカマス」が、5月に出たらしい。(東文選 8000ウォン)

契約して4年半振りだ。死の床の母に、韓国版を契約したヨ、と言ったのが1999年の年の暮れだったのを今でも覚えている。高層ビルの病院の窓から、1900年代最後の夜景を見ながら。

送られてきた実物は白いハードカバーで黄色の帯が付いている。
つまりなんとなく日本風。
今まで翻訳されたモノはみんなペーパーバック形式で、ボクはハードカバーよりその方が気に入っているのだけれど。
(ハードカバーは返品されてきたモノを再出荷する時、汚れた角を擦ることができる。ペーパーバックではそうはいかない。つまりなかなか売れないで、本屋と版元を往復する本は、ハードの方が都合が良いというわけ…と、ボクは理解している)

ところで、このカバーのイラストが、なんと「カワカマスのヴァイオリン」の挿絵。よく見ると全色カラーで刷っている。言ってくれれば、カラーのイラスト送ったのに…それでこの装丁ではもったいないナ、などと、コスト的にいつも2,3色しか使っていない節約苦労人の独り言。
さらに本文はイラストがセピアで二色刷。贅沢! しかし、それでいて、ひどく薄くて見えないイラストもあり(画像ソフト操作の未熟かナ)、紙面に印刷汚れもあったりで、なんかチグハグなところがある。
どうやら大らかなお国柄らしい。

とはいってもハングルの読者が生まれることはこの上なく嬉しい(^^)/
残念ながらボクは一字も読めないけど…(>_<)

たった今パレスチナで起こっていること(引用)

「僕たちは殺されていく」by ムハンマドQ (2004年5月16日)

ラファの人たちと家々に対するイスラエル軍の暴虐きわまりない攻撃は依然として続いている。この3日間、ラファ難民キャンプ一帯は、イスラエル占領軍の軍事行動のターゲットになり、激しい攻撃にさらされた。
15人を殺し、100人以上に怪我を負わせ、100軒以上の家を壊して跡を更地にし、そうして今朝早く、イスラエル軍はラファから引き上げていった。引き上げるに当たって、住民たちには、「われわれはまもなく戻ってきて、この一帯の家屋破壊作戦を再開する。日曜の夜には、絶対にこのあたりに残っていないように」と告げた。

これを伝えてくれたのは、ラファに住む友人、フィーダだ。
ロンドンにいる僕には、言うべき言葉もなかった。でも、今朝、僕はラファの親族からの電話で起こされ、信じられない知らせを聞かされることになった。「気をしっかり持って聞いてね。これは私たちの運命なのだから。昨夜、あなたのいとこのアシュラーフが殺されたの。この言葉を聞いた途端、全身が震え出し、両の目から涙が溢れ出してきて、眠気は一気にどこかに行ってしまった。何が起こったのか詳しく知ろうと、僕はじっくり話を聞いた。そして、ひととおりの話が終わるころ、僕の頭の中にはいつのまにかレイチェル・コリーの記憶が浮かびあがってきていた。ラファで一緒に活動をしていたレイチェル。いっぱいに広がる陽光の中で、平和な手段で、パレスチナ人一家の家を破壊から守ろうとしていた時に、イスラエル軍のブルドーザーに平然と押しつぶされたレイチェル。

いとこのアシュラーフは37歳。3人の子ども──12歳のハサン、8歳のムハンマド、4歳のアハマドの父親だった。昨晩、拡声器を使って大声で怒鳴りながらラファのあちこちを走りまわっていたイスラエル兵たちが、突然、アシュラーフ一家と、同じ一画に住んでいる数十の家族に対して、イスラエル軍はこれからこの通りのすべての家を破壊するので10分以内に立ち退くように、と命じた。みんな、殺されるのを恐れて、白い旗を振りながらそれぞれの家から退避していったが、アシュラーフは、妻のサハール、義妹のアズハールとともに家の前にとどまり、戦車の兵士らに、何とか家を壊さないでほしいと頼みはじめた。

自分の家の戸口で、子どもたちの家を守るために、3人はむなしい交渉を続けた。兵士たちは、ヘブライ語を話そうが話すまいが、いずれにしても「情け」という言葉を知らないようだった。アシュラーフは、とうとう、こう言ってしまった。「おれの家をブルドーザーで壊すと言うのなら、まず、おれたちを押しつぶしてからにしろ」と。彼らはそうした。操縦者がブルドーザーを前進させ、アシュラーフと妻と義妹を家の中に押し込んで、そのまま、3人と家の中にいた子どもたちもろとも、家を破壊したのだ。朝になって住人たちが集まり、何とかアシュラーフ一家を助け出そうと必死に瓦礫を取り除いていった。アシュラーフはすでに死んでいた。妻のサハールは病院に運ばれたが、きわめて危険な状態にある。ただ、子どもたちだけは奇跡的に一命をとりとめた。あとでイスラエル軍が出したプレス・リリースでは、軍は、自分たちには責任はない、兵士たちには一家の姿が見えなかった──そう主張している!!!(レイチェルを殺した時と同じだ)

僕は今、自分がラファにいないことが悲しくてたまらない。そして、今朝、もう少しあとになって、ラファのアネスから、もっと悲しい知らせを聞かされた。イブナ地区に住むアフマド・ラドワンという17歳の若者がイスラエル兵の銃弾数発を浴びて殺された。アフマドは、去年、トム・ハンドールが子どもたちを助けようとしていた時にイスラエル軍のスナイパーに頭を撃たれた直後 トムを何とか安全な場所まで運ぼうとした僕たちに手を貸してくれた若者のひとりだった。ラファの人たちに対してなされた残虐な行為の数々……。僕には何も変えられなかった。僕には、そうしたことが起こるのを止めることができなかった。それはわかっている。ただ、せめて、銃と分厚い装甲壁の奥に隠れた殺人者たちに、2つだけ聞きたい。 1)君たちにとって、僕たちはどんな存在なんだ?

2)こちらが人間であることをわかってもらうには、どれくらい大声で叫ばなくてはいけないのか、どのくらいデカい必要があるのか、服に何色の目立つ色が入っていなくてはならないのか、正確に教えてほしい。これまでに同じような「偶発的な」ニアミスがあって、殺されずにすんだ人がいたのなら、君たちを前にしても大丈夫な「一線」ははっきりしているだろう?

翻訳:山田和子
(この欄に字数制限があるため一部割愛しました。すいません……町田純)

狩場の悲劇(1)

上空に冷たい寒気が入った日、小仏峠から陣馬山まで歩いた。道端には可憐なスミレが咲いていたが、心は晴れなかった。自然が美しくとも、その国が、その国民が醜ければ、たちまち色褪せてしまうだろう。

こんな風に書けば、ボクは自虐的な非国民? それとも反日分子?
なんとでも言い給え、恥ずべき国は、持たぬが幸い。

翌日、ミニシアターでロチャヌー監督の「狩場の悲劇」(チェーホフ原作)を観た。 http://www.saturn.dti.ne.jp/~rus-eiga/sp/che/doc/kar/

20年振りかな、定かではない。バレリーナ出の女優が、なんとも気恥ずかしくなるように現れた記憶があったけど、今回はさほど感じなかった。森番の娘にしては美しすぎるしスマートすぎるのもご愛敬だ。ロチャヌーは得意のジプシーで盛り上げる。スクリーンに映し出されるサンザシのような赤い実、ライラック、白菊……そして背景の広大な緑。
ところどころ剥落した白い列柱。伯爵の屋敷。沼のような池。どれもこれも、あまりに美しい。

この若書きのチェーホフを、ロチャヌーは自分の元に引き寄せて、思う存分描き切った。ミハルコフが「機械仕掛け…」でやったのと同じように。
同じシアターで「かもめ」も観たけれど、こちらは戯曲そのままの映画化。これではやはりつまらない。もともとボクは、「かもめ」がそれほど好きではない。それに芝居は、どうしたって舞台の中で限定される括弧付きの芸術だ。観るモノもその括弧を意識しながら、自らがドラマトゥルギーを高めているに過ぎない。チェーホフというと一般には戯曲ばかり話題になるけれど、他の作品にも接しなければ、彼がやろうとしたことは理解出来ない。(これはどんな作家でもあてはまること)

当たり前なことだけど、作家とは小さな全体性なのだ。
とくにチェーホフの場合、彼が書き遺した星の数ほどの短篇のせいもあって、読者のチェーホフ観も、愛する作品も、星の数ほど様々だ。だから誰もが自分のチェーホフを持っている。それは素晴らしいことだ。
というわけで、ただチェーホフそのものよりも、彼の全体性を引き寄せながら、好きなようにアレンジしながら強烈な個性で描く想像力こそが必要なのだ。今さら、ただチェーホフをなぞってもなんの意味もない。

さて、「狩場」のあらすじは、貧しく素朴で純粋で美しい娘が、貴族連中の(森番の娘という卑しい身分の)アイドルとして、ちやほやされ、もてあそばれ、最後に自滅する(ここでは殺される)というロシア・ブンガクの伝統的パターン。もちろんこの娘も、豊かになりたいという欲望に取り憑かれている。そうでなければ余りにバカバカしい話になってしまう。

ロシア文学で大切なポイントは、弱者への眼差しだ。それも貴族社会でもっぱらブンガク芸術が営まれていたわけだから、強者から弱者への眼差しとなる。支配階級(新興ブルジョワジーも含めて)のジレンマ、自己欺瞞、矛盾、罪悪感、退廃…こういったものが出発点となる。そしてこういった自己矛盾は、そうたやすく止揚されるモノでもない。葛藤が続き、その葛藤の中にこそ人間性は存在する。こうして魂が鍛えられる。
皮肉なことだが、極度の貧富の差は、それだけドラマティックに根元的な魂を育むようだ。
(下の欄に続く)

狩場の悲劇(2)

ヤホンで、このような魂が育まれたことがあるのだろうか。いくつかの試みはあったかも知れない。
しかし、つまらない大衆小説の洪水の中で泡のように消えていった。
今日、ヤホンは階級社会とは言われない。(実際は資本家と権力者の階級は確かに存在するが)
でも、思うのだが、ここに来て新たな層が生まれてきたのではないかと。
これは階級とはいえない。しかし間違いなく一つの層である。政府に、権力に、国家にすり寄り、体制の側にいる自分に満足し、それ以外のモノを排除しようとする層だ。

彼らは政府権力に洗脳されているのか。いやそうではない。自ら欲して、進んで、権力とまるで家族のような一体感に浸りたいのだ。なぜなら彼らは真の家族や友を失っているから。その空虚感を、補償を国家権力に求めている。
それは極右民族主義者? そうではない。ごくふつーの連中だ。会社員、学生、商店主、経営者、管理職、公務員、主婦……そして子供。

公園や駅のベンチに金属の仕切が入った。誰かがごろっと横になるのを妨げるために。
植え込みに柵が作られる。段ボールやビニールハウスを排除するために。
路上生活者を社会の屑と言って殴打する子供達。
無菌のハウスに住み、無菌の家族は、少しでも汚れたモノを極端に嫌う。
無菌であることの無味乾燥さに(自覚することなく)苛立ち、何かを攻撃したいのだ。階級であった方がはるかにマシだ。階級にはそれなりの自覚と自尊心と明白な意志が存在する。支配、被支配にかかわらず。
ところがこのあいまいな層は、階級ではないから、まとまりがない。無限に増殖したり、水面下に隠れたりできるのだ。国家主義ファシズムはこうした一見ふつーの層から広がっていく。

ボクは少し前から、電車に乗った時、恐怖を覚える。
300万の東京都の人間がイシハラに票を入れた。すると、この車両に乗り合わせたほとんどの成人はそういう人たちなのだという恐怖感。
府中にある生まれながら精神に障害がある施設に視察に行った時、「安楽死という言葉が浮かんだ」と言ったのはイシハラだ! いつものように「文学的に」とごまかしたらしいが、文学はそんなに非人間的なモノなのか! イシハラがブンガクしているとは誰も思ってはいないけれど。
このような人間を支持する人がたくさん同じ車両に乗り合わせている恐ろしさ。

弱者に対する眼差しの欠落。それはアメリカ的資本主義と、それの後追いに必死になっているヤホンの資本主義が育んだ精神の結果なのだろう。生産力のないモノは切り捨てろ、邪魔だ、と。
だからボランティアでストリートチルドレンを助けている人など、余計なことをする邪魔なヤツなのだ。山谷で炊き込み支援をする人たちも、胡散臭い左翼過激派になるんだろう。

「狩場の悲劇」の観客は10人いたか。外に出ると街はすごい人波。
関係ないけど、ボクの本が売れないのも納得した。
ボクは弱者しか描かなかったから。おまけに動物たちだしネ。

右側に気をつけろ

2日ほど前、腐ったベランダを踏み外して体半分落っこちた。
落ちるついでに、横の壁面に右側頭部を殴打された。右側からのバッシングというわけ。
3月だったか、春の嵐が吹き荒れて、やはりベランダにあったサンダルが2足、どこかに吹き飛んだ。
残ったのは2足とも右足。これつまり、右側のみで歩いていけ、という意味か。

ファルージャでの拘束事件を「ヤフーニュース」で見ていて、記事の端に「この事件について話そう」という欄があった。
なんとなくそこをたたくと、なんと言ったらいいのだろう、…まあひと口で言うと、ぞっとするとでも言うべきか、実際ぞくっと背筋が寒くなったのだから。
こういう形式をなんて言うのか知らないけれど、匿名の人間が交互に数行書き込んでいく。
「税金ドロボー」などはまだマシな方。「とにかくむかつく」「早く人間バーベキューになれば」といったものを見た時、ボクはノートパソコンを閉じた。
人と人がリアルに向かい合うことなく短文を送ることのできるメールは、自筆で紙に書くという動作が省略される分、自制が失われやすい。
逆に見れば、本音がすぐさま露わになる。

ということは、ここに書かれていることは、この連中の隠された本心なのだと言うこと。
普段どういった日常を送っているのか分からないが、…多分ごく普通の、ありふれた人たちなのかも知れない…、その内面はかくのごとく荒廃しているすさまじさ。
これは特殊な人たちなのかも知れない。コンマ数パーセントの。 本当に?

まてよ、「こんなに迷惑を掛けて、まだ行くと言うんですかねぇ~」と言ったコイズミも同類じゃないのか。
いったいどんな迷惑なんだ? 自国民の保護は政府の仕事だろ? 今度のように、いや、いつもなあんにもできないけど。
それとも、自分たちの気に障るモノは保護したくないのかな。

「外国まで人助けに行こうという世代が日本に育っていることを世界に示した」
と、フランスのル・モンドは発信している。
彼らがイラクの人たちの親日感情をかろうじてつなぎとめているんじゃないのか!
身を挺して世界と共振するという行動を、誰もがとれるわけじゃあない。
ボクのように臆病で、体も弱く、意志も志もなく、行動力のない人間にとって、彼らは希望そのものだ。
人道支援の人道とは、ヒューマニズムを意味する。
コイズミの言動にヒューマニズムのかけらもない。

戦争を阻止することもなく、まっ先にアホリカ支持の手を挙げて、…その結果一万人のイラク市民が死んでいった。
いや、イラク兵やその他不明の死は、この数倍か数十倍だろう。
このコイズミという人間に、人道支援という言葉を発する資格があるのだろうか。
扇動政治家とでも言うべきコイズミの下、読売、産経、新潮、文春…といった右翼マスコミが無知な大衆をあおりたてていく。
ナチズム形成期とそっくり。
(どうやら大衆は無知ではなく、本当は知っていて、この道を選択しているのだが…この分析はまた別の機会に…)

それから、今回の一連の動きを見ていると、子供達のイジメの構造とそっくりなのに驚く。
何か周りと違った些細な言動、行動に対して、だれかがそれを取り上げ、次にそれを別の宣伝屋が言いふらす。
(周りと違うことといっても、こちらから見ると全く取るに足りない、どーでもよいことなのだが…。ただ注目すべきは、正しい行動をとるモノに対する妬み、ひがみ、という感情が見受けられるということ)
ナチズムも人種差別を利用した巨大なイジメと言える。
だからコイズミは、やはり小ゲッペルスなのだ。

イジメとは、閉塞集団内で、いじめる側ひとりひとりが持つ負のストレスを、少数者=弱者にぶつけていくものだが、困ったことに閉塞集団内で起きることなので、ストレスは解消されることがない。負の連鎖が続くわけだ。
閉塞集団が外に向かって開かれる時、初めてイジメは止む。
自分達がいかに精神的に貧しいかを理解するのは、外部の新鮮な空気を深呼吸した時だ。
ところがコイズミと政府自民党、公明党そして右側のマスコミは、渡航禁止の法制化も口にする。鎖国だ。
こうして、閉塞国家内部で小さなイジメが繰り返され、強固な疑似天皇制ファシズムが構築されるだろう。
(疑似天皇制ファシズムとは、戦前の天皇制ファシズムとは若干異なる。ここでは、実質の天皇はコイズミそのものである)

ボクの右側頭部にコブができた。ボクはコブをさすりながら、4/17、4/18とデモに出かけた。
いや、ピースウォークか。とりあえず右側に気をつけないと……。

あきれた政府妄言ニュース

イラクで解放された日本人人質側から今後もイラクで活動したいとの希望が示されたことに対し、日本政府内で16日、不満や戸惑いの声が広がった。
政府高官は「信じられない」と驚き、「どうしても(帰国が)嫌だと言うなら、イラクに亡命してほしい。あれだけ国費を使っているのだから損害賠償させたい気持ちだ」ときつい表現で今後の活動を控えるよう促した。
(:-) だれも飛行機のチャーターなんぞ頼んじゃいナイわい。出迎えのテレビに出たい外務副大臣みたいなヤツのためにアンマンに本部なんぞ作るんじゃナイ! 自己顕示PRのために税金使っているのは誰ナンダ! それより自衛隊のイラク派遣費用377億円 、とりあえず返してほしい。 一部閣僚は、「山岳遭難は遭難した人が費用負担する」(中川昭一経済産業相)などと、被害者側に救出費用の一部負担を求めるべきだとの考えを示した。 中川経産相は閣僚懇談会で、「北海道東京事務所が人質家族の支援のために使われた。道庁が救出費用をどうするのか悩んでいる」と指摘。井上喜一防災担当相も閣議後の記者会見で、「(被害者側も)ある程度の負担はすべきだ。費用負担は責任との兼ね合いだ」と述べた。
(:-) 北海道庁が本当にそんなはした金で悩んでいるのか?! そんな場所貸しだけでぶつぶつ言う政府が世界のどこにある!! 経済相の仕事って、けっこー細かい金銭を扱うのかな? 公共事業もこれくらいドケチでやってもらいたいものだ。

小泉首相は、イラクでの3邦人の人質解放について、難しい交渉だったと述べた。
(:-) へぇ~いったいどこのだれと交渉してたんだ?

福田康夫官房長官は16日午前の記者会見で、邦人3人が解放されるまでの犯行グループとの交渉について「すべて解決したわけではない。他の国のこともあり、すべて明らかにする状況にはない」と述べた。 さらに「事実関係をよく聴かないといけない。被害者の立場から必要な調査を行う」と述べ、3人の帰国後に事情聴取し、真相解明を図る考えを示した。錯そうする情報に政府が翻弄(ほんろう)されたとの指摘については「混乱はなかった。的確、適切なる対応をしてきた」と反論した。
(:-) そりゃあ明らかにできないだろうな。 三人から事情聴取しなけりゃ、なあんにもわからないだろうから。

しかしこれ全てブラックユーモアでもなんでもない。
現実の発言なのだ……ボクはこれを聞いて卒倒した……

ジエー隊撤兵スベシ!

コイズミはほんとーにツイテいるヤツだ。
これを機にジエー隊を撤兵すれば”すべてよし”!
そうすれば、ジエー隊って、ほんとーに自国の国民を守るための隊なんだ! と実証できるし、
コイズミは、ブッシュのイヌではなくて、日本人のための首相だったことを示せるし、
自国民を守るためと言えば、ブッシュにも言い訳が立つだろうし、
もうブーツには地面のドロがしっかり付いて、おともだちブッシュとの約束も果たしたことだし、
ドロ沼にはまる前に、さっさとジエー隊を帰国させるチャンスだし、
お得意の人気取りには絶大の効果まちがいなし、
かなりドラネコでさえ、すこーしコイズミを見直すかも。

こんなにいいことずくめの撤兵をしないとしたら……
イラクの人々を本当に支援している人たちを見殺しにして、
ジエー隊を宿営地にこもらせて、どんな復興支援をしているんだろう?
やっぱり、復興利権のためだとバレてしまうヨ。

ネコたちよ、街に出て、「自衛隊撤退!」の意思表示をしよう!
サラヤ・ムジャヒディーンよ、よりによって何故この3人を拘束?
何とも、やりきれない気持ちだ。 (text by かなりドラネコ)

軽蔑

なんだかここ二ヶ月、なあんにもする気がなくなった。もちろん3/20のピースウォークには出かけたけたけれど。
今年の花粉が少なくとも、量の問題じゃあない。やはりそれなりにダメージを受ける。
でも、何か希望があればそんなことは問題じゃあない。

次々にアホリカ=ブッシユ政権の嘘、まやかしがあばかれても、コイズミ支持を続けるヤホン人。
有事法も、じえー隊派遣も、既成事実になれば賛成が増える国。
芸能人コイズミのラーメン屋訪問。同類の他の芸能人やスポーツ選手へのコメント。始球式。
得意のキャッチボール。
多分広告プロダクションのアドバイスに従って動いているのだろう。
それにただ乗りのマスコミ。そして、だまされつづける人々。
国益とか言っていたけど、これからのお得意、中国や韓国、アジアをバカにして借金漬けのアホリカにしがみつく。靖国へ通って国益を損なっているのは誰なんだ? コイズミ、お前だ!

この国にもアホリカと同じようにテロ警戒信号が設置されるだろう。街のいたる所に。
政権の人気が落ちかけると、黄色からオレンジ、そして赤に引き上げられる。
テロとの戦い。ボクらもいつの間にか引き込まれたわけだ。
でもまてよ、テロってお前達が作って拡散しているモノだろ。ブッシュとコイズミ、お前達が!
だったら二人で戦ってくれ。コチラはゴメンだ。実はオレは臆病なんだ。

街中に警官とキドー隊、私服と公安が溢れ、なんて安全な国なんだ!
教育委員会のまわし者が君が代を起立して歌っているか調べに来る国、いや東京都。
自警団、隣組も復活させたいイシハラ=東京都。
すでに飼い犬散歩自警団はこのあたりでは結成されている。
(飼い猫自警団については、まだ報告されていない)

こうして、ブッシュ、シャロン、コイズミ、イシハラの下、世界はますます住みやすく、
安全、クリーンなモノになっていく。
なにひとつ抵抗出来ない臆病なボクとしては、
彼らと彼らを支持するモノ達に「軽蔑」という言葉を捧げよう。心から。

アレンスキーの組曲

ここ一二年、まともに音楽を聴かなくなった。いや、もっとずっと以前から。ボリス・コバーチ(classicではない)の新譜なら聴くだろうけれど、
価値ある創作というモノはそうやたらにできるものではないし、出てくるモノではない。年に一、二枚あるかないかだ。

classicの方は、なんというか、ただ惰性で買っている。たいして聴きたくもなく、くだらん世界と思いつつ、退廃的に細々と続いている。なんといっても、classicなのであるから、今日的意味はないのはあたりまえなのだ。

といって、モダンジャズはとっくに古典だし、ロックは勲章をもらうような軟弱さ。残された希望は、international、worldにしかないのだろう。
どのようなゲージュツも連綿と、周辺を、辺境を(差別語であるけれど、これを使う我々を逆説的に撃つ言葉)糧にして生き延びてきたわけだが、現代では、周辺からの反攻が始まっているのだ。
クルド、アラブ、トルコ、中央アジア、アルジェ、イラン、バルカン……
古典、モダンを問わず、そこには残された可能性がある。

で、もうなんの価値もないclassicのCD。
久々にアレンスキーの「組曲」の新譜が出た。
スベトラーノフ盤(メロディア、BMG)は見あたらなくなったから、
手に入れ易いのはこれだけかな。
この曲(第三組曲の中の葬送行進曲とノクターン)は、「ヤンとシメ」の
なかで、27「アレンスキーの組曲」として使ったものだ。
そもそも「ヤンとシメ」は自然を舞台とする、ヤン達の芝居
ということにもなっているけれど、全体は散文的な組曲でもあるわけで、
ドボルザークのスターバト・マーテルを主旋律に、
様々な音楽が使われている(残念ながらclassic)。
どちらかというと、classicの世界ではマイナーな曲が多い。
しかし、マイナーということは、作品がマイナーなのではなく、
人々が無知であるということに過ぎないのだ。

ところでこのNAXOS盤、この会社の特徴だが、録音がつまらない。
全く色気がない。新録音なのにもったいない。安い(1000円以下)のはいいけれど。

デモネコ

1/18のシブヤと1/25のworld peace now 銀座と、なんとか続けて行けた。
(写真はどちらも1/25の日比谷~銀座~東京デモ)
慢性扁桃炎状態なので、結構つらいものがあったけど、抗生物質で抑えながら。
シブヤは悲惨だったな。シブヤを埋め尽くせというスローガンとは裏腹に、いつもよりかなり少ない。
……じえー隊、行っちゃえば、もう仕方ない。
結構歓迎されている(ヤホンお得意の根回し戦術。金とコネだ)じゃないか……
と思ったのか、せめて日曜は休みたい、ということなのか、さて…

というわけでこの日は帰ってそのまま寝込んでしまった。
というのは真っ赤なウソで、ちゃっかりTowerへ寄って、CDを漁った。気分転換。
もう今さら買う物もないのだけれど、こうなると習慣なのだ。
で、聞きたくもないロッシーニの弦楽ソナタを買ってしまった。理由は安いから。
家に帰って、ぶっ倒れて少し聞いたら、なかなか美しい。録音が。
内容は、なあんにも無い美しさ。今の気分にぴったり。
そしてそのまま途中で寝てしまった。

1/25日は快晴無風の日比谷公園。よく集まった。6000人。
実に久しぶりだ。みんな何となくニコニコしている。はっきりしたものだ。
しかし、総力を挙げて結集してこの程度でもあるわけで、まだまだひと桁もふた桁も足りない数だ。
見た顔があちこちにいるということも、それなりの人数ということか。
それでも警察公安よりはるかに多い!! ザマー見ろ (^_^)v

これだけ集まればいろいろな人がいる。それが楽しい。
今回はネコを連れて来た人がいた。
犬は見たことがあるけれど(大きな犬にno warと書かれた布を着せて)、ネコのデモは初めてだ。
それにしても、ずうっとおとなしく抱かれているのには感心した。
大きい方だ。オスだとのこと。柄は、ややアバンギャルドしている。
こうして何となく気分良く家路についた。まあ、よかった。

シメ来る!

大げさな言い方だが1/8日はヤンの命日だった。
ちょうどその日、朝刊の野鳥の連載コラムにシメがでていた。
そしてその2日後、何年かぶりに本物のシメがやってきた。

(写真は1986年冬に来たシメ。
上は雪の日にシジュウカラが脂身を食べ終わるのを
待っている珍しく殊勝なシメ。下手前の小鳥はカワラヒワか?)

窓の手すりにヒマワリの種の入った皿をのせてある。
キジバトやシジュウカラやムクドリが来る。
まさか数年ぶりにシメが来るとは (^_^)v

そしてまた2日後、ヒマワリの種が無くなった。
仕方ないのでバケットをちぎって細かくした。
他の鳥はみんな来るのに、シメは来ない。
シメは好き嫌いが激しい。
脂身とかが好物だ。
それっきり来なくなった。
気が短いんだな、やはりシメだなと思った。

それからヒマワリをたくさん買ってきて2日後、
カリカリというシメ特有の種をかじる音がする。
やっぱりシメだ。
そして、窓ガラスに映る自分の姿をたたく。
邪魔者だと思っているのだ。多分ね。
独り占めにしたいのだ。ヒマワリを。
あいかわらずのシメだ。

ボクはヤンの写真に向かって言った、
「ヤン、シメ君が来たよ」

極小に向かう想像力

いじめ、家庭内暴力、不登校、路上生活者襲撃、自傷行為(リストカット)、ネット心中……
今、個の想像力は、より弱いモノや自分自身(これまたさらに弱いモノ)に向かう。

町田康とかいう同姓の作家だか詩人だかロックだかが書く文もその類だ。
げっ、とか、ぺっ、とかつぶやきながら、そこいらにあるがらくたや、
ゴミの山に当たり散らしながら歩いていく。
チラと読んだだけだが(そもそも読むに値しない)、文章と同じ、ゴミのような内容だった。

自虐というのは表現行為の一つではあるけれど、表現であるためには、
自虐から出発して、社会や世界観に広がらなければ、ただのくそガキの作文だ。

このくにの映画や小説・詩といった世界は、家庭や個といった小さな小さな
世界に向かい、その中にひきこもったきり、いっこうに出ようとしない。
年々その傾向はひどくなっていると思う。

まあ、そういった表現者は、それなりの想像力しか持ち合わせていないのだから
仕方ないけれど、困るのは、文学や映画、芸術が、こんなものだと理解され、
そんなモノしか知らないで、そんなつまらない世界で育つ、若い人が
生まれてしまうことである。

さて、なぜ内に向かい、つまり内向・内攻的になるのだろうか。
ポストモダンの哲学が、ひたすら逃げの論理に終始したことを思い出せばよい。
ポスト・マルクスとパラノイア。
これはグローバル資本主義下の「ひきこもり」宣言だ。
たしかに分析すればそんなところで行き止まり。
しかし、思うのだが、行動とはどんなときでも倫理をともなわざるをえない。
倫理は哲学そのものではないのだ。
どこかで決断する。絶えず決断する。分析だけでは決断できない。

内攻を外攻に転じること。
簡単なことだ。
社会に目を向け、世界をだれがどのように支配しているか、知ればいい。
……たとえば、アメリカの1%の大金持ちが、アメリカの富の40%を所有していること。
彼らがブッシュを作り、また新たなブッシュをつくること。そして、世界を食い物にしていること。

あとは街に出るだけ。
リストカットしている暇はない。

action111

1/11(アクション111) の日比谷公園出発デモは、年寄りの行進といった風情。
1800人。確かに日比谷公会堂は満員だった。
しかし、年齢層が高い。一言で言い表すと、中央線文化圏風。
元教員とか、そういった人たちが多いんじゃないかナ。良心的などちらかというと旧左翼的な人たち。もっとも、新左翼という単語もとっくに死語なんだから、すべてオウルドなのだ。

「吉永小百合さん、岸恵子さん……も賛同人に加わっています」と先導車のスピーカー。
このスピーカーの女性の呼びかけがまた、一時代も二時代も前の印象を与える。
呼びかけ人、賛同人も有名人が多い。そこが今までのpeace walkとは違う。
しかし、どうも元気が出てこない。歩きながらだんだん滅入ってくる。
察しはついていた。この日はパスする予定だった。
でも自分の体の具合がましな時は、あーだこーだ言っていないで、とにかく
参加しなきゃいけないと思ったのだ。

だいたいこのコース(銀座、東京駅を通る)は嫌いだ。何回も歩いたが、
舗道に人はいないし、いても、なんとなくイヤな目で見ているよーな気がしていた。
このあたりで買い物をしたり勤めている連中は、自衛隊派兵、
憲法改正に賛成なのだ。自分たちには直接関係ないと。
シブヤはガキの街だけど、ここよりは数段ましかもしれない。
銀座は死にきっている、店もビルも人も。
日本橋あたりのビル風(突風)も不快だ。

それにしても公安の少なさはどーだ!!
シブヤのpeace walkと比べると格段に少ない。
デモの参加者はシブヤが100人から200人。こちらは1700人なのに、
公安は10分の1だ。
おそらく年寄りは所詮無害と踏んだのだろう。しっかりしているナ、公安は。

というわけで、スカッとしないまま家路についた。
ところで、あれだけ名を連ねた賛同人達は、一緒に歩いていたのかナ?
せめて100mでも先頭で歩けば、それなりにマスコミ効果があると思うのだけど。

翌日ネットで、派兵賛成が10ポイント近く増えて49%という世論調査を見た。
自民と公明支持者の中での増加らしいが、コイズミ犬やイシバ・おたく、の会見で、
ああそうだと、簡単にまるめこまれる単細胞がいまだにいるとは…… 哀れな国。

ボクらの壁

ヤンとその仲間達のホームページを作り始めておよそ5ヶ月。
まだまだ始まったばかり。最初の数ページといったところ。
カフェ、「オデッサ・イスタンブール」のページも別に
立ち上げなければいけないし、まだまだ道は遠い。
ヤンの数少ない読者のさらに一部の方しか、これらの
ページを読むことができないのは、
とても悔しく残念だけれど。
パソコンの設定その他、なんとかならないモノか……
コンピュータ技術者の常識があまりに世間離れしているということか。

さて、このホームページ、ヤンの世界を期待した人にとっては、
渦巻く怒り、罵詈雑言があふれていることに驚き呆れたことだろう。
じっさいボクにとって、2001年10月から始まった、アホリカによる
最貧国アフガニスタンの爆撃とその後の展開に、こみ上げる怒りを
押さえることは困難なことだった。
もちろんその間も、イスラエルによる、ナチスを彷彿とさせる
パレスチナ弾圧が延々と続いている。

思い出してほしい。ヤンは反抗するネコだった。
人間社会に対して、彼はいつも批判的な冷めた眼差しを向けていた。
それは、彼らから見ると、人間達の世界は余りに厚かましく、
自分勝手なモノだからだ。

ヤンとその仲間たちの世界、それは、とても控えめな世界だ。
「遠くから声を掛けることをためらいながら、そっと連帯の挨拶を送る…」
かれらは、それだけで互いを理解し尊重できる。
密やかな共感。密かな連帯。
これは、共に生きることの最少、それでいて十全な、彼らのルール。

今ボクらの周りには、巨大な壁が屹立している。
イスラエルがパレスチナに張りめぐらすアパルトヘイト・ウォール。(右上photo)
これはその象徴だ。
そして、ボクら人間一人一人に、知らず知らず無意識に、内なる壁が
形作られていること。

これらを打ち壊すためにも、あらゆる想像力を動員しなければいけない。

……でもまあ、たまには、気の抜けたことも書いていこう。

クリスマスイヴのデモンストレーション

またまた渋谷の反戦デモ。カフェ、オデッサ・イスタンブールも、
もちろんシブヤだった。ボクはよほどシブヤに縁があるらしい。
それにしてもイヴの夜とは洒落ている。
集う者。ルンペンプロレタリア。よーし! ひきこもり。がんばれ!
永遠無職。そーか……。障害者介助者反戦。パチパチパチ。赤帽よい子。
なんだそれ? ……といった風。

それから、いるいる、公安のヤツら。暗がりの中に集う参加者達とほぼ同数。
国家権力は、一人に一人が、ガードしてくれるのか、ありがたや。
税金を払ってきただけのことはある。
ここんとこでは、一番動員が多い感じ。どうやらこの日は、新人の
キドー隊の研修日だったようだ。まだ慣れていない子供っぽい素直そうな
キドー隊員が、上官にどやされ、背中を押されて、前に出てくる。
新兵さん達、それなりに緊張している。かわいいな。

対して、指揮車の上から四六時中怒鳴り散らす拡声器の指揮官。
デモ隊よりうるさいのだ。
「君たちは道路交通を妨害している!ただちに隊列をととのえなさい!」
三列縦隊より細くしたら、一列歩きか?
まあ、モノは考えようだ。たかだか200人ばかしのデモなら、いっそのこと
一列で歩いた方が、よりたくさんの人にアピールできるっていうモンだ。
だらーっといつまでも、ぐずぐず歩くというのもいいんじゃないかな。
ま、どっちでもいい。

「君たちはドライバーの迷惑になっている。さっさと前に進みなさい!」
どこを車が走っているんだ? こっちの車線は申請されて、車両通行止めのはず。
まあ、接触事故でも起きたら、後で騒がれてたいへんだからな。
デモ隊に犠牲者!とかいう見出しの新聞が出たら、困るからね。
気持ちは分かる。ありがとう、心配してくれて。
道々舗道は例によって、公安とキドー隊員の列。一種の儀仗兵だから、
なんとなく気分がいい。ごくろーさん、ゴクローさん。と、最敬礼。
ボクらをきちんと取り囲んで守ってくれるのだ。ありがとう公安委員会、警視庁。

こうして、何事もなくデモは終わる。
今夜もVサインして写真を撮ってもらったけど、そーいえば、アドレスを
渡すのを忘れてしまった。あれだけ撮っているんだから、一枚ぐらいくれたっていいんじゃないか?
次の機会でいいか。いつもおんなじ公安だから。
不景気なシブヤのクリスマスの夜は更けていく。

公安

悪性の風邪とコンピューター病からやっと二ヶ月ぶりに回復して、
久方ぶりにデモ、いや、ピースウォークに出かけた。
まいどまいどのシブヤ一周コース。寒風の中200人ほどか。
対して公安らしき風体の(実際、公安ファッションは気絶するほどダサイので
すぐわかる)やつらが50人ほど。そしてキドー隊が50人くらい。
親切にも道々最後まできちんと付いてきてくれる。

みいんなカメラを手にしてパシャバシャパシャ。
そして、しょっちゅうメモ、メモ、メモ。
何回も撮ってくれる。Vサインをするとむきになって撮るヤツ。

いつもいつも不思議に思う。
車椅子でハンディキャップのある人、お年寄り、高校生‥‥
そういった人たちの集団に、これほどの警察権力が必要なのかと。
ぼくらのphotoを撮ってなんになるんだ!?
拉致拉致と騒ぐのなら、日本海岸にはりついて警戒したらどーナンだ。
毎回毎回繰り返されるこのバカさ加減にもう飽き飽きした。
オレの肖像権はどこに消えた?
言っておくけど、オレは写真写りが悪いんだ。

200人の市民の周りに100人の国家権力。
これが警察国家でなくて一体何なんだ!
コイズミを支持し、イシハラや小野清子に投票した人たち、
君たちがこの息苦しい警察国家を築いているんだ。
そこんとこを忘れないように。念のため。

右翼マゾヒストと小さなエゴ達

特攻隊(自衛隊)を送り出すかのような苦渋の決断を下す司令官の演技。
いや、本当に自己陶酔に陥っている、アナクロニズムそのものの
コイズミの顔をTVで見ていると、妙な感覚を覚えた。

不思議と安寧で、怒りが無く、まるで死後の世界から覗いているような感覚。
死んでいるのはもちろんボクらだ。
いや違う、ボクらは未来から過去を覗いている。今まさに、この時に。

歴史の教科書を目の前で読むことのできるボクら。現在進行形の皮肉な幸運。
歴史は繰り返される。何度も何度も。列強の植民地の時代。帝国主義の時代……
アルジェリア、ベトナム戦争。

その時々の権力がどんな妄言を吐くか、どのように民衆をたぶらかしていくか。
ボクらは最上の席から見ることができる。

「テロに屈するな」「自由と正義を守るために」「国際貢献」……
「~を守る」「~を解放する」「~のために」……
愚かな人類の歴史上、飽きるほど繰り返されてきた、支配者が放つ言葉、言葉、言葉。
虚ろな全ての言葉は、たった一つの言葉に収斂する。
「我々の(俺様の)権益のために」

ここで、権益が露骨ならまだ救いようがある。
ハリーポッターだかハリバートンだか知らないが、ブッシュ政権と一体化している戦争請負企業群。
アフガニスタン(ガスパイプライン)、アゼルバイジャン(カスピ海油田)、グルジア(パイプライン)、イラク(油田)と飛び回るラムズフェルド。
そもそもイラクから毎日湧き出すオイルのあがり(180億ドル/年)を、誰がどのように管理しているのか、我々は一度として聞いたことがない。そしてそのイラクでは、ガソリン不足で行列。
アホリカ国民の血税で復興?
石油で莫大な釣り銭があることは誰でもわかる。

ところが、ボクらが直面している危機は、もっともっと底深いモノだ。
「国益のため」という、卑怯で卑劣な言葉。「日本という国が試されている」という精神論。
おそらくコイズミには、地位権力という権益しかないだろう。ハリーポッターがあるとは思えない。だからかえって危険なんだ。

こいつの頭の中はおそらくこんな自己陶酔で満たされている。
「俺は日本という国のために、泣く泣く決断したのだ。自衛隊の任務は確かに危険だ。
それでも日本国民全体の利益のために、俺は最高司令官として送り出さなければいけない」

あまりに古い国家主義と、それと裏返しの妙にマゾヒスティックな対アメリカ観。
この屈折した右翼が唱え始めた精神論ほど、危険なモノはない。
そして、それを支えるエゴイスティックな商店街のオヤジ、おばさん、若者、会社員……
そうか! 日本の国益とは、この小さな小さなエゴの集合体なんだ!
いやそれどころか、昔も今も、この国にはこのちっぽけなエゴしかなかったのだ。その集まりがヤホンそのものなんだ。

それで、今ボクにできること……
Not in my Nameと、バッジを付けて買い物に行くことぐらい。
そう、ちっぽけなエゴさ…

憲法を失った国-1(下に続く)

憲法は国の最高法規。と、誰もが小学校や中学で習ったはず。
実際憲法がなければ、その他諸々の法律は存在根拠をたちまち失ってしまう。
くだらないヤホンのような国家も、このおかげで、なんとか、まとまっている。
どこの国もそうだろう。
中には、サウジのように憲法が無くて、族長とその一族が何もかも独占しているところも
あるけれど。
それにしてもフセインのイラクには憲法があり、サウジにはないのに、
なぜアホリカは、サウジを民主主義化するために爆撃しないんだ?
ブッシュ一族とサウジの支配者一族は、親密な関係を持っているから、
得意の劣化ウラン弾も打ち込めないのだろうけれど。
おそらくアホリカの民主主義という概念は、特化した民主主義=アホリカ流ご都合主義なんだろう。
こうなるとデモクラシーという言葉自体が胡散臭くなってくる。

公務員は憲法の下で仕事をするモノ。当然そーり大臣もだ。
あまりに当たり前のことだ。誰だって分かる。
ところがコイズミ犬の頭には、けんぽーなんて、どこにも存在しないらしい。
あるいは、もう、けんぽーは改正されたと思っているのか。
この犬はまさに自分の嗅覚だけで動いている。その場その場の匂いで。
僅かながらあるらしい、のーみそは、太平洋戦争の頃の国家主義で満たされてしまっている。
こうして、いつのまにかボクらは、憲法の無い国に住むようになってしまった。

憲法を失った国-2(上の文の続き)

コイズミ犬は沖縄問題には冷たく、特攻隊の遺書に涙する。
国を愛する純粋な気持ちに涙するらしいが、若者を無意味な死に駆り立てた国家主義、
軍や資本、支配者、思想、そういった背景については、なあんにも考えたことがないのか!

固執する自衛隊イラク派遣も全く同じ構図だ。
テロに屈しない、自由と正義を守る、純粋な意志?
その背景。アホリカ資本の石油に対する欲望、世界覇権の確立、中東の軍事占拠。
全くおんなじ。

コイズミ犬には何一つビジョンがない。空っぽだ。今まで一言も聴いたことがない。
もともと無かったのだ。ただ、「ぶつこわす」とか、「改革」とか、短い単語しか浮かばないのだろう。
文を作れないのだ。
こうして、ただ吠えたてるだけの犬に従って、暗い、いやーな世界に突き進んでいく。
おそらく、戦時体制というモノはこのようにして、こんなにもあっけなく、生まれていくのだろう。

しかし、この犬がいいといって選んだのは、我々なんだ。
だから、諜報員のような役割の外交官(実際アホリカの出先機関に派遣されていたのだから、
イラク人のレジスタンスが敵だと思うのは当たり前な話)が殺されても、
いまさらどうしようもない。英雄だと? 誰のために、何のために死んだんだ?
棺に日の丸を掛けてもらうためか? アホリカの真似をした演出のために!

コイズミ犬はますます、「テロ、テロ」と吠えて、その先には敵意と憎悪の連鎖が待っている。
ブッシュは喜ぶ。自分の代わりに吠えてくれるから。
ブッシュは自分の飼い犬と棒投げでもして遊んでいられる。

それにしても一体ボクらはいつまでこんな犬を飼わなきゃいけないんだ?!

PC脳

ちゅうぶるのMacのノートパソコンを買ってからすっかり調子が狂ってしまった。
ゲーム脳どころか、PC脳だ。CDのトレーが横から出てきてワッと飛び退いたり、マウスがないのでどーしたらいいのか、どこをどーいじればいいのか、どこかの密林の奥地から出てきたネィティヴの人たちが、侵略者の文明に初めて出会った時と、多分ちょうどおんなじなんだろう。

液晶画面もひどく疲れる。とにかく見にくい。なんか、字がぼやけている。
フォントサイズを一つ上げると、ひどく大きく太くなる。
おまけにこのパソコンには二つのOSソフト(つまり古いヤツと新しめのヤツ)が入っていて、
そのどちらよりも古いOSソフトを使っていたモノとしては、右と左からダブルパンチを受けているよーなものだ。周辺機器との接続も二回分やらなければならない。
そして、マニュアル、くだらない設定の連続。読む物のことを考えていない
ヘルプとかいう解説。
極めつけは、新しい物を買わなきゃつながらない、だと?!
人をバカにしている。

あたらしいOSにどんな利点があるのか?!
なにもありゃしない。ただ画面デザインが違うだけ。自動車のデザインが毎年変わっていくのと同じだ。買い換えろということ。買い換えなければヤツらの儲けが出てこない。
それだけのことだ。

こうして、あれこれと、スッカラカンにされていく。
考えてみると、そこら辺の紙切れにちょこっと書(描)けば済むことを、金と時間を浪費しながら、頭痛と首と肩の凝りに苦しみながら、そしてマニュアル脳にさせられながら、あちこち遠回りして、なんでこんなことをしているんだろー?!

結局開発しているヤツらがまさにPC脳だから、こんなモノができあがるんだろうな。
おかげで、頭の中にあった閣下とジャックのアイデアも忘れてしまった。家鴨も中途。
結論としては....、自己批判、反省。少し頭を冷やそう。

電脳的貧困

ここしばらくサイトに新しいネタを入れていない。
理由。一か月ほど、悪性の風邪ヴィールスによる足と腰の激痛(それもなぜか左サイドのみ)に苦しめられた。
煽動する政治屋、メディア、それにいとも簡単に乗る大衆、といったものによる左サイドへの攻撃。とうとうヴィールスまでもが左を攻撃するのか!
なにしろ、足を動かすとひどい痛み。ただ、寝ているしかない。寝ていても腰が痛い。X線で見ても何にも分からず。

最後の手段、漢方薬による自己治療。麻黄湯が良く効いた。
こうしてなんとか危機を脱したが、どうも心臓の能力が低下している。そして全身的に老化がヴァージョンアップした感がある。
もう先が長くない。だったら浪費しよう。といっても、貧困層の一人としては、高額の新品には手が出せないし、好きでもないものに金をかけたくない。
というわけで、去年発売されたらしいMacのibookを中古で購入した。中古の方が、古いソフトをなんとか使えるらしいので。
OSが変わるというのは実に鬱陶しい。ただ、古いままだと新しい周辺機器が使えない。こうして、ハード&ソフト会社の罠に、どんどんはまっていく。なんとか仕返しできないかな。

三年間ぐらい、ブラウン管と一体のimacを押し入れに入れて使ってきた。パソコンなんてインテリア的にも普段目にしたくないからだ。
ただ、冬場はそこが寒くてしようがない。(夏場はあまりの高温で画面がくねくねになったりした)
極寒の押し入れの前でブルブルしながらパソコンなどいじりたくない。
暖かいところでぬくぬくしていたい。
で、そういった環境を作るためには、かなりの資金と、うっとうしい設定・接続、マニュアルに占拠された痴呆脳、そして時間の浪費と眼精疲労、頭痛が必要だ。

結局今は過渡期なんだろう。
ウザッタい設定、選択、…なんとかフォールダー。
もっともっと自然な操作ができなければ、深い表現など出来っこない。鬱陶しい操作の連続では、直感的なひらめき、感情の起伏といったものを捉えることは不可能だ。
最近の創造分野、芸術文化一般のつまらなさ、想像力の貧困は、デジタルの貧困、電脳的貧困に由来するのだろう。くだらないアニメとかCGとかがのさばって、アニメ立国だと?! バカなヤツらめ。マンガしか作れない国。
ただ、このまま進んでいくことは間違いない。
そして、自在にアナログ的直感が表現可能になった頃、気が付くことだろう。
なんて大切なモノを失ってきたことか!と。
おそらく、それからちょっとしたアナログ的世界のリバイバルがあって、それもすぐに冷めると、人類は得体の知れない宇宙人になっている。蛸足の火星人みたいなヤツだ。
いやそうじゃない、ごく最近アホリカで開発されたらしい、いかなる薬も受け付けない攻撃ウィルスが伝染して、もうだあれもいなくなっていることだろう。
人類の絶滅。確かにその方が地球にとって、優しい。

ケン・ローチ

英国の映画監督ケン・ローチが、世界文化賞(とてもウサン臭い賞だが、この際なんでもいい)の賞金の一部を寄付すると宣言した。
その寄付先。国鉄(もちろん日本の)の民営化で職を失った人々。
それから、イラク戦争の責任を問う活動に。

久方ぶりにスカッと気持ちが好い。
ケン・ローチの映画は、極めてオーソドックスな社会派作品なので、
アヴァンギャルドな作品を前にする時のスリルは無い。
でも、作品を見終わった後、間違い無く静かな感動と勇気を貰える。
ところが、それは分かっているのだけれど、いつもなんとなく、
上映期間が終わっている。
まあ、仕方ない。よっぽど興味が無ければ出掛けないのだから。

それにしても、世界的に押し進められている社会資本、社会福祉…
の民営化政策は、弱者に対する抑圧であり、
資本=国家による搾取の効率化追求にすぎない。
さらに、「対テロ戦争は国家によるテロの正当化である」と語る
ケン・ローチの発言は、なんと小気味よく響くことか。
ヤホンの知識人は恥ずかしく無いのだろうか?
そんなモンはとっくに居ない? ああ、そうだった。

つまらない話

ネコを埋葬してから一週間ほど過ぎて、左腰と左脚がひどく痛み出した。
今は鈍痛になったが、風邪が原因か、はたまた穴掘りと木を切り倒したのが原因か、はっきりしない。パソコンに向かうのもかなりの痛みを伴う。
当然頭も冴えない。閣下も描いたが、つまらないのでボツにした。

こういう時は何をしてもつまらない、そして何故かつまらないことに目が向く。
新聞の、これまた、どーでもいいようなつまらないコラムを読んだりして、
またまたつまらなくなる。

そのコラムに、……タレントの菊川怜とかいうのが、何故人気があるのか理解に苦しむ。バブル人気みたいなものだ……というのがあった。
俳優とか女優音痴の僕でも、その人がCMによく出ているのは知っている。
女優としては全く知らないけれど。多分ひどい大根なんだろう。感じで分かる。そして、確か東大出身だったか?

ジミン党の安部シンゾーとかいう幹事の長が人気だそうだ。やはり東大出身なのかな。A級戦犯岸信介の一族だ。
あれを素敵というおばさん達がいるらしい。

僕は世間の審美眼というものを全く信用しない。
というか、理解不能だ。
菊川怜のどこに魅力があるのだろう。そして、安部がハンサムか?!

この二人、不思議な共通点がある。
冷たさだ。

マスコミが作り上げる虚像。そして後を追う大衆。
いつの時代も変わりがない図式だ。

しかし、つまらない話だな……

ちっぽけな死

一匹の小さな雌ネコが死んで、これまたちっぽけな庭の片隅に穴を掘って埋葬した。
死んだ母が遺していった三匹の内、二匹はある日忽然と消え、最後まで残った人懐っこい一匹だった。
新聞配達の人、郵便屋さん、宅配の人、ガスの検針のおばさん、
だれでもよかった。頭を撫でられ喜んでいた。
気が弱い質で、家の周りから離れられなかったので、いつまでも居たのだろう。
手がかからないネコで、怪我もしなかった。
ヤンの思い出があるので、とうしても僕の所には入れられなかった。
結果ひとりで、寒い時は母の部屋で寝たり、暖かい時は外の決まった場所で寝ていた。
僕は毎日頭を撫でてやったが、お返しに、しつこくペロペロとなめられるのが苦手だった。
そんなになめるんじゃナイ!、と言ってもだめだった。
なんでこんなに軽いんだ、と言いながら振り回したりしていた。
そして、実際ひどく軽くなった。それなりに食べているのに、と思った。

突然数日前いなくなり、少し離れた薮の中でいやな声がする。
呼んでも返事がない。探しても見つからない。崖下にいるのか? 茂った草の中か?
喧嘩でもして隠れているのかも知れない。ただ、声の質がよくない。
嫌な予感がする。死に場所を求めているような気がしたから。

翌日の夜中、戻っていた。うずくまって元気がない。顔が違う。苦しそう。
母の部屋に入れた。何も食べないし水も飲まない。
次の日、ますますよくない。そして死んだ。
症状からネコエイズかと思う。あっという間だった。全く気付かなかった。
最期まで手のかからないネコだった。

穴は大きく掘らなくともよかったが、木の根や石ころ、ガラスの破片なんかをきれいさっぱり取り除いて、
ふかふかの土のベッドにしてから、小さな青い花と白い花を前足に抱かせて埋めてあげた。
季節はずれの夾竹桃が咲いていたので、なぜか、むきになって、
根元から切って、先の花だけを周りに埋めた。
晴れて暑いくらいの秋の日だった。
夜半に、さっと、軽く雨が降った。

存在しない存在者

アフマッドから手紙が届いた。「おばあさんが亡くなった。」
アフマッドはレバノンの難民キャンプに住んでいる。
50年以上夢見続けたパレスチナの故郷の村を再び目にすることなく、
おばあさんは逝ってしまった。

アフマッドの父親はいない。訳あって、母親とも離れて暮らしている。
大好きなおばあさんが亡くなって、どんなに悲しいだろう。

イスラエルがアラファト排除=殺害を公表した。
別に驚くことではない。
イスラエルの首相シャロンは、始めからアラファトが邪魔だった。
パレスチナ人全てを排除するためには、アラファトがいない方が楽なのだろう。
アラファトがどうあろうと、パレスチナ人は毎日毎日殺され続けている。

しかし、民主的な選挙で選ばれた国家の代表者の殺害を、こうも白昼堂々と、恥ずかしげもなく言える世界になってしまったことはコワイ。 9月15日、イスラエル大使館への緊急抗議行動があった。
行っても、空しいだけなのは分かっていた。でも、行った。

集合時刻に30分遅れて、地下鉄から日テレの正面に出ると、
アナウンサーだかタレントだかが、炎天下、フルーツパフェを持って、撮影中。

シュールな白昼夢を見ているのだろうか、と迷ったのも一瞬。
すぐにビルの横からシュプレヒコールが聞こえてきて、現実に戻る。

日テレの駐車場入口の前に小さく人が集まっている。33人も集まったと、中から賛嘆の声が上がる。日テレの警備員が、営業妨害しないでくださいと、文句を言う。(車の出入りは一台もなかった)でも、どこに居ればよいの?

道路を隔てた反対側、マンションとマンションの間の狭くて長い通路の奥に、イスラエル大使館はある・・・はず。

…イスラエルに住むパレスチナ人には、「存在する非存在者」という、
なんともシュールな分類があるそうだ。この大使館は「存在しない存在者」だ…

道路の大使館側には歩道もなく、30cm位の幅で歩行者用の白線が引いてあるだけ。でも、白線の内側には、大使館のガードマン・公安・警察官が2ダースあまり並んでいて、他の人たちの立つ隙間などはない。
なるほど、イスラエル大使館に好都合の立地。

最後に丁重な要望書を読み上げ、

「これ以上パレスチナ人を殺さないで下さい。
パレスチナの人の家を壊さないで下さい。
パレスチナの土地を没収してユダヤ人の入植地を造らないで下さい。
アパルトヘイト壁の建設を止めて下さい。
イスラエルが占領を止めることが和平の第一歩であると考えます。……」

封筒に入れて、ガードマンに手渡した。
ガードマンは封筒を調べてから(バクダンは入ってナイかな?タンソキンは?)塀に付いているステンレスの郵便受け(それともゴミ箱?)に入れるように指示。 ムナしい気分を紛らわしたくて、帰り道、原宿の Book Off に寄り道した。
場所柄、大した本はないけれど、何があるか分からないのが古本屋の楽しさ。

よりによって、こんな時に、パレスチナ人作家ガッサーン・カナファーニーの
「太陽の男たち/ハイファに戻って」を見つけてしまった。
読み始めたら夢中になって、電車の中で立ったまま読み続け、乗り過ごしてしまった本。
勿論、大切にとってある。だから、同じ本を買っても仕方がない。
誰かが見つけて、買って、素晴らしい出合いをしてくれるかもしれない。
でも、売れなかったら?・・・・・・・結局、買ってしまった。なんと100円!
どなたか欲しい人はいませんか?

もう一冊、ポーランド人トメク・ボガツキー作の絵本「すき」。
温かいけれど媚びていない絵と話。なんだか正体不明の動物がかわいい。
これも、持っているのに買ってしまった。これは200円。
どなたか欲しい人いませんか?
それぞれ詳しい紹介は、近々「書物的主張」に載せる予定。
どうして持っている本ばかり見つけるのだろう。(text by かなりドラネコ)

反WTO

9/13 NO WTO, NO WARのピースマーチは、
とにかく暑い日だった。
車道は40度近くあったんじゃないかな。
それにコースも今までで一番長かった。
東京タワーの下から、新橋、銀座、東京駅、日本橋あたりまで。
いつもは、滅多に歩かない、
いや、決して歩かないだろう道すがら、
古い蕎麦屋とか喫茶店、無機質な外資系のビルなんかを
見物しながら、つまり、ちょっとした東京見物気分なのだが、
この暑さでは意識がラリルレロ。

それになんとなく空しい。
ギャラリーも少ないし、そもそもWTOを皆、知らない。
知らない連中に、反WTOと叫んでも、相手もラリルレロ…?
と、なってしまう。

まあ、反グローバリゼーション運動の重要な一つなわけだが、
爆弾や劣化ウラン弾が飛び交っているわけではないので、
一般の人には切実な問題として迫ってこない。

アホリカ帝国を中心として、日本やヨーロッパ諸国の
大企業+政府が、地球規模の経済支配をらく~にするための
機関がWTOなわけ。
経済だから、単純な政治的つながり以上に、僕らの
日常性に絡んでくる。食べ物、衣服、工業製品……
詳しくは、netで勉強するしかない。
そのうち勉強しよう。
僕は、……ちょっと疲れた。
なんだか想像力が、気力が、すうっと失われていくような……暑さ!?

スターウォーズとジブリ

現代の美術シーンというものは、とおの昔に消えている。
あらためて確認するほどのことではないけれど。だいたい60年代で、すべてが終わっている。
どこかでやっているビエンナーレも、まるでガキ程度の想像力だ。
なにもかも余りに浅く、こちらが恥ずかしくなるようなレベル。
TVの「誰でもピカソ」、あれと同じだ。

そして近頃は、美術館がテーマパーク、一大アミューズメントセンターに模様替えしたらしい。

京都の国立博物館ではスターウオーズ、東京都の現代美術館ではスタジオジブリ展。
企画したヤツらに、心から「オマエらバカか? 恥ずかしくないのか」と言いたい。
どんな理由、事情があろうとも。

いっそのこと博物館、美術館であることを、この際放棄したらどうだろう。ハリウッド専属、ジブリ専属、ディズニー専属の娯楽施設にすればいいんだ。その方が明らかに金になる。

それでも地方の美術館には、なんとか頑張って、興味深い企画を試みているところもある。
東京町田市の版画美術館でやった「極東ロシアのモダニズム」だったかな、これは十分練られた、なかなかのものだった。

東京都の現代美術館 (以前カバコフのインスタレーションだけを見に、一度だけ行ったことがある。
とても不便な所) は、イシハラの知人の企業家が館長らしい。
いっそのこと石原祐次郎展でもやったらいいんじゃないか。
バカな客がたくさん来るだろう。記念グッズも飛ぶように売れる。

独立採算とか言って、結局この国は文化を捨てたわけだ。
後に残るのは、ガキとオタクの文化と文明。
スターウォーズ、ジブリetc. 勝ち残るのは、巨大な組織、グローバル企業が産み落とす退歩、堕落、頽廃。
想像力は次々と失われ、人類は先史時代に向かって後進。
近い将来、本物のネアンデルタール人に会えるかも知れない。
そしておそらく彼らも、スターウォーズごっこなんかをやっているんじゃないのかナ。

スタバ

知らないというのは罪悪なのだとつくづく感じた。

スターバックスは、日本では、あのサザビー(Afternoon Teaやアニエスbを経営)が提携導入した。それでなんとなく嫌だった(サザビーの代表はイシハラの友人)のだけれど、喫茶店に入るのは趣味じゃないし(そもそもコーヒーが苦手)、ちょっと何か飲みたい時、仕方なく入っていた(コーヒーじゃナクって甘味として飲めるから)。

今はこの手のshopは腐るほどあるから、まあなんでもいい。
で、このスタバ(いやな言葉だが)が典型的イスラエル支援企業だというのは、知らなかった!

「スターバックスの会長ハワード・シュルツは、イスラエル軍がパレスチナのジェニン、ナブロス、ベツレヘムなどに侵攻し破壊と虐殺を欲しいままにしていた 2002年 4月、シアトルのシナゴーグにおいて、パレスチナ人を非難しイスラエルへの支持を訴えるスピーチを行い、観客からスタンディング・オベーションによる喝采を受けた。

ハワード・シュルツは活発なシオニストで、1998年には、彼のシオニズムへの貢献を讃え " The Jerusalem Fund of Aish HaTorah " から " The Israel 50th Anniversary Tribute Award "(イスラエル50周年記念賛辞賞)が授与され、イスラエル外務省も彼のイスラエルに関するPR活動を賞讃した」…イスラエル支援企業リストサイトより引用

さらに、グアテマラのコーヒー農園での児童労働、低賃金による搾取も行われていて、これに対して反スターバックス・キャンペーンがアメリカ、ヨーロッパでは展開されているとのこと。

FRANKENBUCKSといった皮肉なロゴマーク(図)も作られている。

知らないということは恐ろしい。
ヤホンでは、スタバを長野に誘致しようとがんばったバカがいたっけ。Tokyoの真似をして、どこもかしこも汚く無個性の町になっていく。

さて、他のイスラエル支援企業は、マクドナルド、コカ・コーラ、エスティローダー、ネスレ、マイクロソフト、インテル、IBM、ディズニー …と、きりがない。

何はともあれ、アホリカそのものが最大の支援企業ということだ。
そしてそのnet (網) の中にボクらは捕われているというわけ。

無題

とにかくTokyoは暑い。
まあ、盆が近づいたおかげで人は減ってきた。
昔は夏になると北アルプスとかに出かけたが、
最近は低山にすら出かける気にならない。
もっともこの時期暑くて登れたものじゃないが。
ひとり山道を歩くと、しきりに思い出される。
現にいないもの。
それは構わないのだが、やはり、つらい。
仕方なく、汚いTokyoに居るだけ。

ブーニンの著作集が群像社から出始めた。久し振りに定価で本を買った。
いつも、新品が半値くらいで買える、怪しい古本屋で買っていたからだ。
ここで長く待てば、手に入るものもある。
ブーニンの本については、書物的主張で取り上げよう。

パレスチナのシンポジウムに、2度出かけた。ほとんど得るものはなかった。
講演とかシンポジウムとか、意味があるのだろうか。
本やnetで調べれば手に入れられる情報ばかり。昔から疑問だった。
まあ、台風で出席者がいないんじゃないかと心配して出かけたのだから、
文句を言ってもしょうがない。

こうしてボクの頭の中は、ブーニンとパレスチナと家鴨といった、
たいそうシュールレアリスティックな状態に置かれている。

いつも思うのだが、ボクの頭は、高校二年生あたりから、まったく進化していない。
それはそれでいいか。人は、それほど変われるもんじゃない。

コイズミ犬(けん)

コイズミ犬が高校野球の始球式に出る、という記事があった。
高校野球も大リーグも阪神も興味が無いけれど、
ああ、こいつは、しっかり「芸能人」やつているんだと、
あらためて思った。

いつだったか、相撲のカップ(賜杯とかいう、いやな名前の器)
を優勝した日本人力士に渡す時、よく頑張った感動した、
とセリフを吐いて、単サイボーのヤホン人観衆に媚びを売った
ことがあったっけ。
もし、負けた相手の外国人力士が優勝したら、コイズミ犬は、
同じように、よく頑張った感動した、と言っただろうか?
ボクは、この後、感動と言う言葉を使えなくなってしまった。

総裁選、総選挙、といったものが近づくにつれ、
げーのー人のプライムミニスター犬は、はしゃぎだす。
そして、この小ゲッペルスにヤホン人の半数が満足している。
そんなにも簡単に、だまされるのか?
いや、なんだかんだいって、現状に満足しているんだろうな。
他人、他所のことは、どーでもいいのだ。
そして、けっこー満足して死んでいく。
日本に生まれて良かったと…

隣近所、小さな商店街、「うちの会社」という会社、大学の
サークル、呑み仲間、そういった小さな小さなミクロの世界が
安泰なら、そこでぬくぬく過ごしていく。

あいつがやってきたこと、靖国参拝、イージス艦の派遣、
有事法つまり戦争法、情報を規制する法、
自衛隊(どうやらもう完全に軍隊として認知されたらしい)イラク派遣、
何をしているのか、何のためか、わからない外交……

決して怒らないヤホン人、いや、卑近な物事には、執拗に非難を
くりかえす。

大陸と地続きだったら、もう少し変わっていたかもしれないな。
ああ、ナウマン象、マンモス !!
再びこのちっぽけな島の上を闊歩してくれないか!

 

チェコアニメを見てきた。A,B,C,DのうちのDプロ。
つまらなかった。
60年代と90年代のもの。職人気質でとても
丁寧で良心的な作りなのだけれど、脚本、構想が単純だ。
子供用と見ればそれまでだけれど。
でも、たとえ子供用の物でも「ぼくらと遊ぼう」のような
大傑作が存在している。
やはり、imaginationが飛躍するかどうかの問題。

ロシアアバンギャルドのハルムスの作品をアニメ化した
ものもあったが、これはもともと語呂合わせ的小品。
言葉の創造力をアニメにしても意味が無いだろう。
ハルムスを取り上げた意欲は買うにしても、つまらなかった。

以前やはりチェコの若手のアニメ集を見たが、
これは汚く、発想も貧困だった。
マンガに毛が生えたようなもの。

技術が進歩するのと反比例して、創造力は失われて行くのは、
どの分野でも共通のことか…
家鴨の方が数段ましだ、と、自画自賛しながら家路についた。

トルコ美術の現在

埼玉の美術館にトルコの現代アートを見に行った。
かなり期待していた。結果は、…落胆。

ここには、さしたる問題意識もない。
トルコの政府が金をだしたのだから、当然、
あちらの政府財界に問題を突きつけるようなものは
出てこない。
それはわかる。しかし、…

結局トルコの余裕のある層の遊びなんだろう。
とはいえ、げーじゅつは、もともと富裕層の道楽。
クルド問題のクの字も出てこないのは当たり前か。

これに比べて、遥かなるクルディスタンという、
手法は陳腐だけれど、頑張ってこの問題を扱った
トルコ映画の女性監督。
これもおそらくブルジョワジーだが…
このようにプチプルならプチブルなりの義務
というものがあるはずだ。

とにかくトルコの貧富の差はすさまじい。
もっと何かあったはずだ。学芸員が自分の手で
掘り出さなけれは゛いけないのに、
まあ、そんな暇も予算もないのだろう。

それにしても日本はどこへ行っても金太郎飴。
北浦和の町、駅前の哀しさ。
バカな彫刻、為政者の石碑ばかり。

ジェニン

パレスチナのドキュメンタリー「ジェニン・ジェニン」http://www.jeninjenin.org/ と
「ガザ回廊」http://www.littleredbutton.com/gaza/index2.html
の2本を見てきた。
ぴあフィルムフェスティバルで、ただ一回の上映。なんとかミニシアターで、短期間でいいから上映できないものか?

イスラエルの兵隊は人間ではないな。下等な動物。いや、それ以下だ。
身障者、年寄り、身重な女性、小さい小さい子、なんでもかんでもブルドーザーと戦車で押しつぶす。カエルのようにだ。

若者たちを裸にして、地面に数珠つなぎにして、戦車でひき殺す映像(隠し撮り)は初めてだった…… イスラエル、シャロン、地獄に落ちろ!

それにしても、これほどまでの地獄を何回となく経験しても、決して屈しないパレスチナ人たちの意志、勇気、生きる力そのものは、一体どこから湧いてくるのだろう。
写真は、破壊尽くされたジェニン……

7/20渋谷のデモ

7/7に続き7/20も東京、渋谷一周(半周かな)のデモがあった。勿論、有事法制を怒り、自衛隊のイラク派遣阻止のピースウォークだ。
7/7は700人、7/20は600人との発表。正直すぎる。1000人位にしたらいいのに。警察発表はいつも大嘘なのだから。 とにかくやたら蒸し暑い日で、ただ歩くだけで消耗する。なんだか、デモでこんなに疲れたのは初めて。
トーキョーの夏は嫌だ。

そんな中、photoに写したお年寄りたちを見つけると、勇気づけられる。
なんてったって、存在に重みがある。

今日はパレスチナのドキュメントを見に行く予定。気が重いが、貴重なものなのでこの機会を逃すわけにはいかない。

それにしても、ブッシュやブレアの支持率が急降下なのに、コイズミは涼しい顔をしていられるのは何故なんだ!
それは、ヤホン人があまりに低レベルということだ。

 

下の画像の花とじょうろは、ボクが付けたのではない。
ボクには、あんまりこういった趣味ない。
この出版社の他の本にも付いている。
三島由紀夫の翻訳にも。

仏教国らしい優しさなのかも知れないが…

 

五月か六月か、タイから「ヤンとカワカマス」の翻訳の問い合わせが入ったと聞いた。そして、いつのまにかというか、いつものように、それぞれの国のエージェントを通した、出版社どうしの契約書がかわされたらしい。

いつも思うのだけれど、こういった契約に、なぜ作者のサインが求められないのだろうか。
当たり前のことだが、著作権は作者に、出版権は出版社にある。
慣習のようだが、いつもなんだかおかしいと感じる。

で、早々と、coming soonらしい。英字でJAMSAI PUBLISHING(タイの出版社)と調べたら99%文字化けで(つまりタイ語は出てこない)、かろうじて、yan and the pikeとJun Machidaが見えて分かった。

どうやらこれが表紙らしい。タイ的デザインなのだろうか。
もうちょっとなんとかならなかったのか。
4センチほどのヤンの絵を数倍に拡大している。それも鉛筆の細い線画なのに。

まあ、よその国まで口出しはする気がないし、できない。仕方がないか。
そもそもタイ語は、何一つ読めない。出来たものを手にしたら、おそらくとても妙な気分になるだろうな。

しかしタイ、意外だった。
そしてアジアにうとい自分を恥じている。
なんたって、ボクはアジア人なのだから!

untitled

ちょっと間口を広げ過ぎてしまった。と言いながら、
いくらでも項目は増えていきそうなので、自己規制をかけねば。
あれもこれもやっちゃうよ、と見せびらかして、
なあんにもやらないのが、得意のパターン。

気長にやっていこう。
でも、ここしばらく集中しよう。末端から作っていくしかないかな。

 

パソコンにホームページ作成のソフトが入っていることを知らずに三年半過ぎていた。まあ、ホームページというものは、誰かが言ったようにトイレの落書きの一種だろう。 とにかく読むものではないし、そもそも画面を読みながら考えるということは難しい。
ただ、画像を表示できるということはなかなか便利だ。コストがかからない。カラー画が本文に入った本を作るのは、コスト的に無理があるらしい。
ところがホームページではただ。 というわけで、画像中心のページを作ってみようと思った。
しかし、三年前のソフトのせいか、自分がパソコン音痴なのか、全くわけがわからない世界。疲れた。 まあ、少しずつやっていこう。
世の中のことを考えないでいられれば、それにこしたことはないから。
それにしても、まだまだ項目が増えそうだ。

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