4. ビデオ上映「FaceA/FaceB」
パフォーマンス「BIOKHRAPHIAービオハラフィア」
ラビア・ムルエ & リナ・サーネー(レバノン)

レバノンの公演は、ビデオ上映と女優のパーフォーマンス。
いやな予感。プライヴェートな些末にこだわった映像に、面白くもない一人芝居のような気がする。でも、レバノンの公演なんて、この国では一生に一度出会えるかどうかの希少価値モノ。期待しないで、行ってみた。

思った通り、うんざり、退屈 ………… おわりは予想外、「やられたぁ」だった。

ビデオは、作者自身の声と映像の一致を探し求める。
カセットテープに残された少年時代の声。モスクワに留学中の兄に送ったテープレターに、革命歌だかレジスタンスの歌だかを歌っている。このころの映像はない。

イスラエル軍の侵攻で破壊された家の写真。叔母の声、母の声。自分の声はない。
レバノン内戦の頃(?)、殉教者(?)の棺を運ぶ人々の映像。このあたりに自分はいたはず。これが自分?ちがう。では、こちら?いや。 あれ?ちがう……それであったとしても、他の人と自分の違いはあるのか、ないのか……

これではやはり、自分探しの旅にすぎない。

次は、インタビューショウ。
女優が登場して、テープに録音された質問に答えていく。

家族について、仕事、芸術、政治、セックス……… 次々と早口にまくし立てる回答は、よーく聴いていれば(いや、字幕を追いかけていけば)

けっこう面白いのだが、だんだん飽きてくる。
これも、結局は、自分探し。「どーぞ、ご勝手に」と、思っていたら、
突然インタビューは終わり、女優は舞台中央で小瓶に水を満たし始める。
全部の小瓶に水を入れると、それを持って舞台を下り、出口の脇に座った。

何かしている。この席からは見えない。《小瓶にアラク酒を入れて、栓をしていた。》前の席から笑い声。見えない。《一本9800円と書いた紙を貼っていた。》
そのまま沈黙が続く。

しびれをきらした観客(サクラ?)が質問する。アラビア語で、意味不明。答えない。

これで終わりなのだと気づいた観客が、席を立ち始める。
出口は、女優の座っているところ一つしか開いていない。黙って座り続ける女優の脇を通るとき、《 》のことが判明。

「ああ、やられた!」
芸術なんてこんなもの、演劇なんてこの程度、これが彼らの言いたかったこと。

たしかに、そのとおり!
「やられた」という感情は、怒りではなく、愉しい驚きと、全くの同感だった。

アラク酒のミニボトルを前に、黙って座っている女優は、観客が話しかければ、微笑で応え、チャーミングだったし、アラク酒を飲んだ人は、もっと愉快になっただろう。(9800円払わなくてもよかったようだ。)

だが・・・もう少しほかのやり方が・・・・? もやもやと考えながら、なまぬるい春の嵐の中を帰途についた。          

Text by Mariko Machida 2004.2

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