ヒクメット、ガザ、地下鉄
  いまだ誰も渡ったことのない
  もっとも美しい海
  いまだ成長していない
  もっとも美しいこども
  私たちがいまだ目にしたことのない
  私たちのもっとも美しい日々
  私がいまだ口にしたことのない
  あなたに語りたいもっとも美しいことば
  人生とはね
  希望がすべてなのだよ 愛しい人

トルコの詩人ナーズム・ヒクメットが獄中で妻ピラーイェへの思いを綴った詩集
『21時と22時の間の詩集』より
岡真理
「ガザに地下鉄が走る日」から引用

共産党を禁止していたトルコは、共産主義者のヒクメットを収監した。
共産主義が平等な理想の社会を実現させると信じられていた時代だっだ。

この獄中で綴られたヒクメットの詩を、ガザの弁護士ラジ・スラーニ氏が講演で引用したエピソードが「ガザに地下鉄が走る日」(岡真理著 みすず書房)で紹介されている。
パレスチナのガザはイスラエルによって不法に占領され、隔離壁で囲まれ、度々攻撃を受け、人の出入りも物資の出入りも厳重にイスラエルに管理されている。イスラエルの攻撃で破壊された発電所や病院や住居を再建するための資材の搬入も許可されない。ガザは屋根のない監獄だと言われる。
そんなガザで生きていくためには「希望がすべてなのだ」と、ラジ・スラーニ氏は言う。

「ガザに地下鉄が走る日」? 
資材も搬入できないガザで地下鉄建設の計画があろうはずはない。
このタイトルは、ガザのアーティストの作品に依っている。街角に地下鉄の路線図を貼って、路線図の駅名の場所にそれぞれの駅名を書いたプレートを立てる。そんなインスタレーションだ。これも希望、そして占領に対する異議申し立てと皮肉。

抑圧されている人々、不正義にさらされている人々が発する言葉(詩・文学)やアートは、なんと深く心を揺さぶることか。

写真は世界最短(2駅を結ぶだけ)、
世界で2番目に古いイスタンブールの地下鉄。イスタンブールを愛したヒクメットも乗ったことだろう。
ヒクメット解放運動の世界的な拡がりによって出獄したヒクメットは、1951年モーターボートで黒海を渡りソ連に渡ろうと試みる。1920年、革命のロシアから黒海を渡りイスタンブールに着いた「イスタンブールの占いウサギ」のヤンとは逆のコースだ。
ヒクメットのボートは、途中でルーマニアの貨物船に遭遇し、必死に救助を求めて乗船。そしてソ連に亡命した。
この挿話を生き生きと話してくれたのは、あのユーリー・ノルシュテインだった。

ノルシュテインの傑作「話の話」のタイトルは、ヒクメットの詩「話の話」から来ている。作品のイメージも重なっている。

   話の話(おとぎばなしのおとぎばなし)   ヒクメット

   水のうえにたたずむ
   プラタナス ぼく
   しずかな水面に影をうつす
   プラタナス ぼく
   水の照り返しがぼくらの顔を打つ
   プラタナスの ぼくの

   水のうえにたたずむ
   ねこ プラタナス ぼく
   しずかな水面に影をうつす
   ねこ プラタナス ぼく
   水の照り返しがぼくらの顔を打つ
   ねこの プラタナスの ぼくの

   水のうえにたたずむ
   太陽 ねこ プラタナス ぼく
   しずかな水面に影をうつす
   太陽 ねこ プラタナス ぼく
   水の照り返しがぼくらの顔を打つ
   太陽の ねこの プラタナスの ぼくの

   水のうえにたたずむ
   太陽 ねこ プラタナス ぼく ぼくらの運命
   しずかな水面に影をうつす
   太陽 ねこ プラタナス ぼく ぼくらの運命
   水の照り返しがぼくらの顔を打つ
   太陽の ねこの プラタナスの ぼくらの運命の

   水のうえにたたずむぼくら
   最初に立ち去るのはねこ
   ねこの影が消えるだろう
   つぎに立ち去るのはぼく
   ぼくの影が消えるだろう
   つぎに立ち去るのはプラタナス
   プラタナスの影が消えるだろう
   つぎに立ち去るのは水
   太陽は残るだろう
   つぎに太陽も立ち去るだろう

   水のうえにたたずむ
   太陽 ねこ プラタナス ぼく ぼくらの運命
   水は冷たい
   ぼくは詩を作る
   ねこはまどろむ
   太陽は照る
   おかげさまで ぼくらは生きています!
   水の照り返しがぼくらの顔を打つ
   太陽の ねこの プラタナスの ぼくの ぼくらの運命の

   
(ヒクメット 1958 中本信幸訳をもとに一部改)

ノルシュテイン [話の話」 より
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